なんでも同じと言う風に処理しようとすることに警笛を鳴らしたい。
そんなに簡単ではないということを2つの例を挙げてみていくことにする。
病院での検査と学生の成績というメルクマールで見ていこう。
まずは前者の例だが血圧は上が120前後、下は90未満で良いだろうと伊藤琢哉は勝手に考えている。
血圧の基準も厚労省が何回も変えているからあてにならないが・・。
諸外国のものとも違うし・・・。
これは概念の世界だと思った。
頭で何でも考えるから【測る】のである。
健康診断で身長の平均が出ているのはこれまた概念ではないかと思う。
ドラゴン桜の桜木=阿部寛、中央理工学部卒は190センチ以上なのをコンプレックスに思う必要はなかったと伊藤は思う。
でも彼は身長をごまかしていたらしい。
彼に限らず基準、概念に人はかくも弱い。
次に学校の成績を見てみよう。
3X=9
X=3
と解けない人がいる。(成績が悪くなる)
理由は文字と数字は違うということしか頭に浮かばないそうだ。(思考停止=エポケーの問題だけではない)
そういう生徒にA=Bというと頭が真っ白になる。
頭の中はじゃーBって文字はいらないんだなと思ってしまう。
多様性の時代だからよいのか?
多様性とは伊藤に言わせれば各人の感覚ということに近い。
AとBは違うという感覚を持った子はこれからの人生で【何が自分の基準を壊すのか】を注意して生きて行けと 伊藤琢哉は諭す。
このようなことは高学歴の大学生講師には指導できない。
生徒と約30年向き合ってきた伊藤琢哉であってもなかなかできないが講師業関係者の中では一番うまく処すことができると信じてやまない。
追記
最も通知表は左にある数字よりも右にある協調性があるかどうかの◎のほうが社会に出てからも大事である。