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ITO ACADEMY の治め方

日本の教育機関は【徳】かいう者だけで治めるめようとする風潮が強いと思う。

結果、愛知県の管理教育の下では問題が山積している。

当然の帰結と言えよう。

リクルートの民間校長の和田先生に見習うべきだ。

【君主論】は真逆を言っていますけれどもね。

目の前の状況下、ある種のパースペクティブを持つというか、長期の状況かというのは大事だと思う。

例えば、大企業が零細企業を叩きつぶすことが可能でも、そういうことは【徳】に反するから(そういうことはいけないということで)つぶさないんじゃなくて、それをつぶすことが独占禁止法などの法律にひっかかるわけですよ。

しつこいですがいけないことだという倫理的なことではなくて。

経営者にい多いのは長期的な視野からものを考えないで【論語】や何かを引っ張り出してくる人もいるってんだから困りますねー。【笑】

 

 

 

なりたい状態(ひと)に自分をスイッチさせ気持ちを切り替えよ

卒塾性にこないだ聞いてスマホの待ち受け画面を伊藤琢哉にしている人がいるのに驚いた。

感染動機(講義済み)を狙っているようだ。

でもさすがに伊藤琢哉の写真を集めて※コラージュを作っている人には驚いた。

 

主観的構成の意図を持たない「意想外の組み合わせ」としてのコラージュは1919年マックス・エルンストが発案した。主に新聞切れなどや針金ビーズなどの絵具以外の物を色々と組み合わせて画面に貼り付けることにより特殊効果を生み出すことが出来る。後に様々な方向で工夫されて発展し、現在に至る。【ウィキペディアより引用】

予備校講師の新演説

たぶん予備校講師の仕事は、昔も今も、いつも大演説されたら聞く方も耳にたこができるんだけれども。

いいタイミングで、褒め殺しも含めて見事に生徒を引き付けて見せるという仕事なんですね。

もちろん悪くすれば政治家で例えるならそれこそゲッペルスやムッソリーニになりますが、ついぞ予備校講師の見事な演説というものを聞かなくなってしまいました。

ポイントを外してくるのが東京大学の問題なので、普通のポイント・大事なところ・ディスコメーカーなどが中心のへちゃぶくれ講義は応用がまったく効かないどころか確実に間違うように問題が作成されているんですがね=。

僕が人と会う時に心がけていること

僕が人と会う時に心がけていることは、その場でご一緒する方々に違和感を持たせないようにしているということです。

つまり、僕という人間が、毎回マナー通りではなく状況を見て対応ができる【俯瞰力(KYN)  】(空気を読めないことはない)の最高の持ち主であるということです。

東京海上日動を退職後・・・坂口安吾

損保を3年で辞めて、あこがれの予備校講師になった。

ざっくり言うと東証一部上場の人気のある会社を辞めフリーターになった。

バブルの頃なので予備校が1コマ〇万円もらえ、コマ数も早稲田ともう一つの予備校で合わせて週に20コマ以上もらえた時代。

【あいつは資本主義の犬になった】みたいに損保のやつに言われましてね。

その時に【ア、自分は今までは観念という化け物みたいなもので生きていたんだな=東証一部上場は良い。。。 】と思ったんですよ。

改めて大好きなことをやってお金をいただくという得も言われぬ超快適生活。

改めて今生活というものにちょっと足をつけたかもしれない。

当時は、そんなに冷静に振り返られる状況でもなかったんですが【これが坂口安吾の言っていたことか】と思ったような気がしたんですね。【言うまでもなく堕落論のことです、一様、書いておきます。】

 

新しいものだけを追うと【コケる】

【I・PADを使う塾】【教えない塾】【偏差値をAOでびりから慶応に受かった1回こっきりの栄光を売りにしている塾】・・・すべてすばらしい塾が巷にはあふれています。

がこれらの塾にはすべからく【真の新しいもの】が全く皆無です。

整理のために言うと、やはり認識論や感覚論なんです。

【自分は何者であるか】という根源を言っていると思う。

もちろん未来の新しいものは見ているけれど、それと同時に見ている自分は、実は過去からやってきたと言う、そのあたりの深い感覚を、おそらく深い思想の何も知らずに(教えない塾)・(びりギャル)…=新しい塾 はいいことだ】と持っていったわけです。

私から言わせれば過去の因習を背負いつつ、前途の光明を開いていくといったのは当然の話で、単なる新しいものだけでは、【真の新しさ】が出ないですね。

表面的な新しさです。

最近の方々は軽いものが好きなのでそういう類の塾を好むと思います。

そのような塾を選ぶのは人によっては良いことだと思います。

 

 

【馬鹿ッ面下げて闊歩してくる】と塾生になりそうな子たちを揶揄した不逞の輩達に僕が【キレた】ことがある。

僕にはかわいい生徒予備軍にしか見えなかったからだ。

僕は生徒を選ばないし選べない。

選ぶ能力がない。

生徒は生徒であって全て平等に扱う。当たり前のことをあきれ返るほど丁寧に行う。

馬鹿ッ面下げて…と言われたら【上等だ・僕が何とかしてやる】と思うだけ。

第一志望大学・国家試験受験にあきらめるよりも【自分を信じることにかけてみたいお前をアシスト】したいただそれだけだ。

死にたいくらいにあこがれた医師国家試験対策も現実のものにしてきた。

個人塾でも予備校業務も行えた。

でも1個人塾の魂も規模も最初と変わりない。

需要があることは叶えてきただけだ。

そう需給のバランスが一致しただけのこと。

 

 

この世は、人間であれ、時代であれ、矛盾が渦巻いている。

そうであれば、この衝突する矛盾の間で平衡、バランスを取らねばならぬと、そういう意味では、非常に冷静でいなければいけないんだと、そこまで僕は認めるよ。

ただ僕の講義一つとってもそうだが矛盾と言っても面白い矛盾なんだ。

それは熱狂を排することにおいて熱狂しなければならないということよ。

僕のYOUTUBEをご覧になられると、冷静さを欠いていると思うかもしれない。

でも僕は極めて冷静なんです。

例えば、アクションのところでボーンと跳ねちゃうところが全くない。

僕はこう見えて、すごく気が小さくて臆病で、かつ慎重派なんだ。

僕は血の気の熱さというか、バーンとやっちゃうということは、人生に何回かあるんですけどね。

でもそれは講義だけで普段は常住坐臥でやっているという点では、日常茶飯にやっているという点では、中江兆民に近いかもしれない。【笑】

 

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