イ・・・一番、男として脂ののりきった日々は
ト…とっくの昔に通り過ぎ
ウ・・・うなっても、もがいても、どうすることもできず
タ・・・たたいてもとれぬ腹の脂肪
ク・・・苦しみながら、にやりと気味悪く笑い
ヤ・・・やがて来るであろう漠とした幸運を首を長くして待っている
イ・・・一番、男として脂ののりきった日々は
ト…とっくの昔に通り過ぎ
ウ・・・うなっても、もがいても、どうすることもできず
タ・・・たたいてもとれぬ腹の脂肪
ク・・・苦しみながら、にやりと気味悪く笑い
ヤ・・・やがて来るであろう漠とした幸運を首を長くして待っている
私は演説館を見たことがないんだけれど、そのことを本で読んだときに、やはり福沢諭吉は偉かったと思った。
明治の人たちは、生の声で聴衆に向かって訴えるという演説と、自分の文筆というものが表裏一体に重なっていなければ、まともな人間ではないと思っていたんだね。【基本的に単科講座や、地方の予備校や、高校への招聘講師に行くときは私も自分で作った公式と解放テクニックを求められましたし、これからもそうだろうと思われます。】
福沢諭吉は本当に偉いと思ったのはその時だった。
銀座に、まだ、あるはずの交詢社。
福沢諭吉が、あの大柄の男が交詢社でしゃべり始めると、もう周囲全部が彼に注目する。
彼の独壇場だったらしい。
でも一方的な演説でもなくて、非常に聴衆の反応を見ながら演説をするような言葉巧みな人だった見たい。
言葉が寝てない。
起き上がっているというか。
いや、立体化されているというか、生きているというか。
生き生きとしてね。
大学も予備校の講義もつくづくだめだと思ったね。
私もやっているわけだけれど、AだからBで、BだからCという。
『だから、どうしたんだい』
と自分で言ったこともあるくらい。
まあ予備校・大学の講義は演説じゃないからね。
生計(たつき)の道としてやっている人もいるくらいだから。
以上
今どきの若者に売れる講義や本は、非常に難しい【けれど重要な】部分をすっ飛ばしているものだと思うんです。『人気講師の講義は簡単な部分、上澄み液というか、表層部分しか伝えない』
★世の中には類・種・個がありますね。
◆類というのは人類、
◆種というのは国家や民族、あるいは組織ですね。
◆個は個人です。
そうすると、この真ん中の種の部分が抜けるんですね。『難しい問題は飛ばす、伝えない』
個の話題がいきなり類の話題に飛んでしまう。
国家や組織という真ん中にあるもの、非常にややこしいものを全部飛ばす。『受かるために必要な部分も難問は飛ばす。➡こういう講義でも受かるようになってしまった』➡『2016年からいよいよ東大・京大でもAO・推薦入試が始まる』
どうも、ややこしいものを飛ばさないものは売れないという考えが匂ってくるんです。【ベストセラーの本も読みごたえのあるものではなく、おかゆ、流動食のような読みやすいものが多い。ずっしり来るものがない。】
マ・・・真心で
ミ・・・身の上相談にものりながら
ム…難しい問題は、かみくだき平易な言葉で翻訳しなおし
メ…めっぽう強気で
モ…物静かに語る
ある知人が、人間が成功するための秘訣として『その物事を好きにならなければならない』と言っているわけですよ。
それはわかる。
昔から、好きこそものの上手なれというから。
ところが、少しは考えたらしくて次にこう言った。
しかし、好きにならなかったときもあるだろうし、好きなものが見つからないという人もいるだろう。
そういう時には、ひたすら打ち込めばいいと言うわけですよ。
ちょっと待ってくれ。
ひたすら打ち込むためにはどうすればいいのかというときに、好きなものを見つけろと言っているわけでしょう。
好きなものが見つからなかった時には、ひたすら打ち込めばそのうち好きになるという。
トートロジー、同義反復ね。
同義反復をやられたら、これは無敵です。
それはもう反論できない。
自分でそう決めているんだから。議論の余地がない。
長文20題のうち5つの単語に絞りました
utensil;家庭特に台所の器具
angina;急な激痛、咽頭炎
☆彡malady;(慢性的な)病気 ➡illness,sickness;病気は誰でも知っている➡disease;病名のはっきりした病気
medication:薬剤、薬物【治療】、医薬 ➡meditation;瞑想 は基礎中の基礎
respiratory;呼吸器の、呼吸に関係のある
全部、当然できましたよね?現役の高校生もできるようにしておいてください。
英文を読破する技術の第一としては『読む前にやるべきこと』をやっておきましょうということです。
その1、タイトルを探せ
①入試英語では故意に外されていますので、課題文の終わりに書いてある出典のタイトルを読みます。
②それがなければ、第一パラクラフを読んでキーワードを探します。
1パラグラフに3回以上使用される抽象語を見つけることです。
京大の課題文では3回以上言い換えてあるので、キーワードは実際には1回しか出てこない場合もあります。
その2,語注から話題を推理する。
その3、設問を見て読むヒントになるものがないか探しておく。
今のメディアは個人責任がないからダメだと言われますね。
つまり、署名入りで記事が書かれていないというようなことでしょうね。
テレビ番組もそうかもしれません。
そのこと自体はしょっちゅう言われていることですけどね。
でもいわゆるメディアの主張とは何かと考えたら、本当に個人のものかどうかわからないんですよ。
例えば朝日新聞を例に使えば、ある問題について朝日新聞という会社全体としての判断というものがあるでしょうね。
もちろん個人は全部違う意見でしょうが、朝日の社員でいる限り、会社の見解に右ならえをしなくても、一応その枠のことを気にして書くでしょう。
そのとき、その記事はその人個人の意見なのか、朝日の意見なのか、さほど截然(せつぜん)とは分離できなくなりますよ。
そういう問題もあるわけです。
変化することはいいとか、変化すればいいということでは困るのであって、変わればいいんだと言っているうちに、それ自体が自己目的化するから、変化を追求することは問題だというようなことを、指摘する友人がいた。
伊藤も同じことを25歳の時に予備校の広報誌に書いた覚えがあるからそうだなと思っていた。
ところが友人の言う最終段階で何が起こるかというと、一番大事なのは、ありがとうという気持ちだという。
私があなたに何かを差し出し、ありがとうと言ってくださる。【生徒の講義後、講師がおごるなど】【生徒が講師から莫大な情報量をもらうなど】
あなたから何かをもらって、私もありがとうという。【生徒から教壇にたくさんの差し入れをもらうなど】
こういう、【贈与と、それに対する感謝の気持ち】というものが教える側と教わる側の間にあるというんですよ。
そりゃ私もその言葉を認めないわけじゃないよ(笑)
ところがちょっと理屈っぽいけど、問題は、ありがとうが大事だということで事が済むためには、私とこの友人、講師と生徒の二人の関係が非常に安定していて、昔のあなたと今も全然変わっていないということが前提になるわけです。
お互い変わってないから、街角で会えばお年賀有難うとか、お歳暮ありがとうとか、ニコッと挨拶するわけですよ。
しかし変化の激しい社会となれば、こういう友人はとうにいない。
昔なじみが周りから消える。
別な人が現れる。
一体相手が何を考えているのかなかなかわからない。
つまり、人間関係においてどんどん不確実性が高まるわけですよ。
そうしたら、贈与をされたとしてもこの贈与はひょっとしたら賄賂かもしれないとか、自分の権威を見せびらかすための贈り物かもしれないとか、様々なことが浮かんでくる。
だから、ありがとうの気持ちが大事だということを言うためには、※マルセル・モースの『贈与論』※を持ってくるだけでは不十分で、当然、現代社会批判を痛烈に展開しなければケリがつくわけがないんですよ。
せっかく変化を求める現代社会について言及しているのに、変化をよしとする時代の中で贈与はどうなるかは、なぜ論じないか?
※フランスの社会学者。民族学者。叔父にあたるデュルケムの社会学理論を踏襲し、贈与は『全体的社会事実』であると主張。
レウ”=ストロースに大きな影響を与えた。代表作は『贈与論』
カルトとは何ぞやということを書きたいと思う。
カルトとは何ぞやということを書く前提として未開の文化を調べたレウ”ィ=ストロースという文化人類学者が呪術の原初形態についてこう言っているんですね。
おまじないとは、化学、サイエンスの始まりだと。
その意味は、簡単に言うと、因果関係を追うということです。
サイエンスの場合は、例えば万有引力によってリンゴが落ちるという因果関係を追っていく。
原初形態としての呪術の場合は、例えば先祖に何か関係があるから、先祖の祟りでこういう事態が起こったんだという形で、原因があって結果があることを示す。
これが呪術の世界だと彼は言う。
それで私はある宗教団体Aを見てこう思ったんです。
皆さんはAを宗教団体だと思っているが、レウ”ィ=ストロース的に言えば、宗教団体ではなくて、呪術、おまじないの世界なのだと。
怪しいという意味ではなくて、因果関係に注目するわけです。
そうであればこそ、多くの自然科学系の参加者がいたんだよね。
医者やエンジニア。
そうした自然科学系の入信者が、なぜ多かったのか。
私はなるほどと思った。
因果関係、因果関係と追って、化学でまだとらえきれていない領域にまで因果関係を追おうとすると、結局、現代の呪術的なものだということになり、A的なものが出てくるんだろうと気づいたんです。