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木曽の山奥の女性

木曽の山奥に行けば、ある種の我慢を強いられます。

貧しさとか、寒さとかいろいろあると同時に、そうであるがゆえに、自分のパッション、情熱を掻き立てなければやっていけないと思う。

今、ふと思い出したんだけど、パッションという言葉は情熱と訳しますが、もとは、パッシブという受身形でキリスト教にいておいてもそうですが、本来は、苦しみを受けるという意味なんです。

つまり受苦の情熱、苦しみを受ける情熱という非常に怪しげなものなんです。

日本人は、パッションというと、非常に積極的に出ることだけを連想しますがね。

ポジティブにとらえているけども違うと。

もともとは苦しみを受けるという意味ですから、宗教感覚に近いものなんでしょう。

例えば、気に入らない男のところに嫁ぐ女の例を挙げてみよう。

私は想像してしまうんですが、鄙びたところに行くと、情熱と忍耐というものが怪しげに絡み合うばかりか、、しかも、女性となれば、発言の場もないし、権力も振るえないということで、いっそう内向する。

そういう内圧が高まっているところへ、気に入らない男のところに嫁げと言われたら、これまでの我慢と密かにメラメラと燃やしていた情熱の火が爆発的に発火してしまうんじゃないだろうか。

 

 

英文学というのは日本人が学ぶべき最大のもの

突然ですが社会思想方面の話です。

イギリス、※アングロサクソン※のものはくどくどと書いてあって、一見、シャープでもブリリアントでもないものなので、面白くないんですよね。

でも、複雑なことを平凡な言葉で、ああでもない、こうでもないと論じていくので、案外、読み終わったときに、こちらのほうにズシンと残るものがあるんですね。

だから、英文学、もっと言うと経験論というのかな。

経験の持っている複雑さとか、一筋縄では括られない人間の争いとか、そういうものの全貌、全体を把握する力というか、表現する力が優れているように思う。

英語圏といってもこれはアメリカではなくて、イギリスでしょうけどね。

仏文学や独文学と比べると、やはり福田恒存氏や中野好夫氏の英文学のほうがね。【以前シェークスピアと私で書きました】

私が言うのは口幅ったいんだけれども、私はそういうことを考えたこともある。

※5世紀半ば以降、ドイツの西北部からイギリスに渡って、諸王国を建てたゲルマン民族の一部。

またイギリス国民ないしイギリス系国民の意味にも用いる。

【広辞苑の一部より抜粋】

伊藤をハ行でまとめてみました

ハ・・・ころびそうになってハッとすることが増えた

ヒ・・・息が切れてヒーヒー言うようになった

フ・・・太【フと】りすぎて、すぐフらふらするようになった

へ…ヘルニアが悪化しないか、いつも心配している

ホ・・・ホホエミ【微笑み】が減った

年月は人を変えますね。

予備校講師風情が何を言うか?!

伊藤琢哉という人物が本来の意味での【批判】を行うものであるとはっきり自覚したのは、このブログを書いていく過程においてでありました。

ちなみに、クリティーク【批判】とは他者を誹謗したり中傷したりすることではありません。

批判とは、、自己及び他者の表現を可能にしている想念、思念、観念、そして概念といった様々なこころのはたらきのクライテリオン【基準】を批評し、さらにそれらの働きが無効となるクリティカル・ライン【臨界線】がどこに惹かれるかを判定することだといえましょう。そうであればこそ、クリティカルな精神状態は批判的であると同時に危機的なのです。

ところがこの列島では予備校講師は蛇蝎【だかつ】のごとき人種である、とみなす劣等な言葉使いがはびこっています。そのことを先刻承知の上で

【吾人は予備校講師なり】と自ら声高く名告るだけでなく【予備校講師ふぜいが何を言うか】と軽んじられることに対して、【その蔑み(さげすみ)が吾人の活力を刺激してくれるので】と感謝の弁をのべている、列島人に非ざるがごときものがここにひとりいます。

誰あろう伊藤琢哉にほかなりません。

200回目になりました 199回読んでくださりありがとうございました

ここに書くのが200回目になりました。

今までお付き合いくださりありがとうございました。

さて私はドライブが好きだけれども、昔、ドライブが趣味の先生に聞いたことがある。

【ドライブの時に何を考えているのですか】と。

この問いに対して、なかなか正直なその人は、『いや、伊藤くん。ドライブ中はいろんなことを考えるが、全部パッパッパッパッと消えていくんだよ】

と言われた。例えば、【あっあの花はきれいだな】とか、【あっ今日は雨だな】と瞬間的に想念が浮かぶだけで、それが連続しないんだと。

そういう意味で※アドホックなリズムというのは、大げさに言うと現代文明そのものが、どんどんすっ飛んでいく車窓の光景のようなちょちょ切れたものになっているのではないか。

 

これはやっぱり現代文明の一つの表れとして出ていると解釈できるんだろうと思う。

 

※特別の、特にこのための、その場限りでの、そのためだけの、『これに関して』の意味

かなり胡散臭い分類学をやる人が、知人にいました

例えばポリシー、政策について分類学をやる人がいました。これが私に言わせると、かなり胡散臭い。

つまりPOLICY TO HELPという助ける政策と、POLICY TO SOLVEという解決する政策が2つあるというわけらしいのです。

困った人が生まれたら、弱者救済で助けに行くというのが前者であり、それに対して、民間活力を沸き立つようにしておくことにより、貧乏人が生まれるという構造そのものを解決するというのが後者である。そういう風に言ってみせるのね。

それを聞いたら、一瞬そうかなと思うでしょう。でも、例えば問題解決するために市場を活性化しなければならないとしたときに、ではどうすれば市場が活性化するかと言ったら、弱者たちが、簡単に言えば道端で寝っころがったり、明日の飯の心配をすることなく、ある程度の余裕を持ちながら、将来に活力を向けてマーケットへ取り組まなければならない。そういう人々がもっと増えなきゃいけないわけね。

そうしたら、この場合のPOLICY TO HELP とPOLICY TO SOLVEというのは、知人の言うようにきれいさっぱりに分離できないはずなんですよ。

でもそのあたりのレトリックが、私に言わせれば、ものすごく薄っぺらだなと見えるけれども、多くの人々をある方向へ誘導することは可能でしょうね。

だから思想論、分類論はあると思いますが、知人の言葉づかいは非常にずるいと思う。自問自答が全然ないからね。【知人とは仲が良いからこういうことが言える間柄です、知人の言葉は知人の許しを受けて載せています 安心してください・・・・・・】

仁徳天皇の政治手法から編み出された当校の授業料安心相談システム

幸福なことに日本では、十六代天皇の仁徳天皇は孔子(講師)と同じような人徳の高い聖人であり君子でした。

『仁』というもの『徳』というものを自分の立志として国を治めた。

国民【塾生】を真心を込めて思いやる、感謝をする。

そういう天皇【講師】になろうとして、『仁徳』と名付けたのです。

即位四年目のある日、高殿にのぼって、庶民の生活を見たら、民家から煙が一つもたってない。

私が即位して四年間、何をやってたんだ、私の政治が悪いから、こうやって庶民が竈の焚けないような状況になっているんだと、自分の政治を反省します。

仁徳天皇はこのような困窮した国民から税はとってはいかんということで、三年間の課税を停止しました。【授業料金相談システムを日本で初めて開発します】

そして自分は質素を極めた生活をし、宮殿の修理も一切しないで貧しい生活に我慢します。【伊藤は授業料金を勘案した結果、貧すれば鈍します】

伊藤が授業料やテキスト代金の一部を肩代わりするというシステムは日本では初のことでした。

 

トップに対する信頼は人格に帰する 君主論を読んで

『君主論』を読むと、なるほどとうなずけるのは君主の条件の一つとして、征服者が現地に赴いて移り住むことを挙げているんですね。

そこを読んでパット連想したことは、公害問題のことです。

つまり社長という人種は、公害を引き起こした現地の工場があるところに住んでいない場合があるんですよ。

水俣のようにね。

あるいは四日市のようにね。

そうすると、最低でもそこに住んでいれば、もっと早くわかるわけですよね。

生産と生活が分離しているからそうなるんですが、このマキアヴエリでさえも、征服者は現地に赴けと言っているのかと思いましたね。それはある種の威厳を示すためだということと、もう一つは泥を被るという話ですけれども。

 

結局、為政者が現地に住むことの意味は、支配者なら支配者の人格がものをいうということだろうね。

どんな顔で、どんなしゃべり方で、どんな歩き方をするかも含めて、為政者を信頼するかどうか為政者を受け入れるかどうかは、最終的にはその人格的なところにきてしまうのだということです。

 

人気講師の心がけ

日本のインテリたちはルネサンスについてヒューマニズム、人間礼賛や人間再発見ということだけを強調していますけれども、ルネサンス期のイタリアは奇妙奇天烈な奴を排出する中で、要するにイタリア人は賭博師になったという話もある。

 

中世が崩壊する中で、人間を再発見するんだけれども、人間というものは、立派な道徳家になれると同時に、狐にもライオンにもなれるわけでしょう。

 

ある場合には言葉の賭博師、言葉の詐欺師にもなれるわけです。

 

だからその点を強調すると確かに人気講師たるものは、アンケート結果により収入が激減するという危機に満ちた中で、言葉の賭博師に近いような能力をギリギリまで発揮しているということなんだろうね。

 

だからトリックスター(詐欺師・神話や民間伝承などで、社会の道徳・秩序を乱す一方、文化の活性化を担うような存在)の様に矛盾したことも講義の中で言っているわけですよね。

 

決して常に、狡く(ずるく)あれということではなく、いわばオポチュニズム(日和見主義・便宜主義・ご都合主義)のような話ですね。

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