生まれて初めて私の息子が評価される時が来年の3月にやってくる。
今までは好むと好まざる関係なしに地域の小学校、中学校へと
私の子供以外の大半の子どもたちが歩んできた。
しかしこれからは「自分の意思と行動と判断」で
自身の道を切り拓いて行くことになる。
高校受験を突破すればそれで人生が決まるといった甘い物ではない。
では大学受験で決まるのかと言えばそれも言い切れない。
高校・大学と進んで行く中で、自分の進みたい方向がおぼろげながら見えてくるもの。
そして社会に身を投じ、自分の本来の夢探しへと歩むことになる。
今、私の目の前にいる子どもたちは15歳の中学3年生。
この子に「将来の夢は何?」と問いかけても明確な返事は返って来ない。
むしろそれが自然な姿であろう。
ではなぜ受験勉強や、夏期講習、を行うのか。
それは高校進学の為の合格基準に達する能力を身に付けるため。
これだけだろうか?
私はこのことをゴールにしていない。
私は高校受験を通して、「自身の生き方や学ぶ姿勢、
ここ一番で力を発揮できる瞬発力、頑張ることの尊さ、
結果の出ない時の自分の思考と行動、人を思いやる気持ち、
人としての優しさや厳しさ、そして大人の考え方」
つまりこれは「人としての核」。
これを15歳の子どもたちに体感させたいと思って息子たちの指導をしている。
この「人としての核」は、自分ひとりだけでは体感できない。
同じ15歳の仲間や先輩や大人が同じ空間に居て体感できるものなのだ。
周りの頑張る姿を見て自分も頑張る。
仲間が苦しんでいる時、そっと「一緒に頑張ろう」って声を掛け合う。
逆に自分に甘え、人に甘える者には誰も目を向けない。
むしろ私は叱責を与える。春に「1.01の365乗」の話をした。
そこにイチローさんの話も交えながら、「毎日毎日の小さな積み重ねこそが、
とんでもない所に自分を連れて行ってくれる唯一の道だ」と話した。
15歳の子ども達、人として大切にして欲しい意義のある時間が
これから始まろうとしている。
皆で一枚岩になって、一緒に「自己」を創って行こう。
それが私の願いである。伊藤琢哉