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前世の過ちのせい??!!

世の中には、不満な現実を先祖の過ちのせいにしたり、前世の過ちのせいにまでしている人がい。

しかし、先祖の過ちのせいにできない。

例えば伊藤には父と母の2人がいる。

その父と母にも2人ずついる。その祖父と祖母にも、それぞれ父と母が2人ずついる。つまり一代さかのぼるごとに先祖の数は倍ずつ増えていく。

そんな調子で30代前迄さかのぼっつてみれば、先祖の数は現在の日本の人口と同じ数になってしまう。

それでは伊藤琢哉と読者の方々の先祖の数は日本の人口の数と同じ数となってしまう。

結局、十人十色の不幸の原因を先祖の過ちのせいにするわけにもいかない。前世の過ちのせいにするわけにもいかなくなる。一番最初の前世は、いったい何のせいにすればいいのか?

つまり、先祖の過ちのせい、前世の過ちのせいというのも幻想なんだ。

そんなものなんて存在しない。

自分の欠点もそう。自分の欠点のせいにしたときに、あたかも欠点が存在するかのように見えるだけで、本当はそんな物なんてない。

自分が勝手に作り出しているだけ。

イマココに全力投球する秘訣。

皆様こんにちは。お元気ですか。伊藤琢哉です。

論語にこうあったような気がします。【調べていないので。間違っていたらごめんなさい】

【君子は、その位に素して行い、その他を願わず】とあったと思う。

君子(観音様のような知恵や働きを備えた人)は、イマ、ココに全力投球して、その他の事は願わないということ。

 

例えば、またわかりやすいので、秀吉の例を出すけど、最初、彼は、信長の馬番だった。その時、彼は自分の給料を割いてまで、馬にニンジンを買い与えていた。

その秀吉が草履取りになった話はどなたも、知っていると思うので割愛させていただく。

ここで重要なのは、もし秀吉が天下統一の目標を持っていたら、どうしただろう?

 

馬番や草履取りなんて馬鹿らしくてやっていられなかったかもしれないね。

あるいは、天下統一ののプラン作りに忙しくて、そんなことに全力投球どころではなかったかもしれない。

ところが、秀吉には、天下統一なんて目標はなかった。

天下統一が目前に差し迫ってそのような考えも浮かんだと思うが、信長が死ぬまでは夢にも思わなかったことだろう。

 

ただ、ただ、イマ、ココに全力投球してただけ。

その結果、知らず知らず、イマ、ココ、をやりくりする力も、最大限発揮することができた。

イマ、ココに全力投球する伊藤に、境界線は存在しない。その時、伊藤はゼロなんだ。

秀吉には地位も学歴もお金もなかった。本当に何から何までゼロだった。ゼロとはすごいパワーだ。

➡結論 結局、境界線がある限り、伊藤はイマ、ココ、に全力投球できない。【ああでもない。。。。。】【こうでもない。。。。。】と悩んだり、ありもしない未来や過去にココロを放って、全力投球どころか、全力分散させてしまう。

➡結論 秀吉の天下統一は、イマもてる限りの力で全力投球するうちに、結果として、そうなったというのが真実。

 

努力すれば成功するかもしれない。

■<努力しなければ成功しない>と学校で習う。<努力しなければ成功しない>というのも,

ラクに成功されると苦労している自分がばかみたいで<一体自分は何のために生きているのか>と、ますます不安になるからそう言うだけ。

■<優しくしなさい><感謝しなさい>というのも、優しくされたり感謝されないと、自分が生まれてきた価値がなくなってしまうようで、とってもとっても不安になるからだけ。

★時代の持つ価値観や常識はみんなのためにあるようで、実はみんなを利用するためのものかも。

■<個性を持て>➡もっとも➡でも本当は【誰が見ても分かりやすい、型にはまった個性を持て】➡そのほうが安心

?しかし本当の個性というのは、もはや個性とは言えないものだよ。境界線のない自分は、個性という型にはまるほど小さくはないからね。

▲ただそれでは相手を予測できなくて不安だから、社会はもっともなことを言って、個人を型にはめようとする。型にはまったロボットなら、行動も予測できるしコントロールもしやすい。時代の持つ価値観や常識が、いかにウソをつき、本音を隠すものなのか、すべてが偽りとは言わないが、よくよく考えてみる必要がある。➡金八先生も【人のためと書いて偽りと読む】とドラマの中で言っていたことを思い出しました【記憶が間違っていたらごめんなさい】

◆結論➡1、何事も頭から当然と思わないこと。

2、人生には、じつは確かなことなど何もないこと

上記1-2をわかっておくことがとても大切。

おはようございます!目的という名の色眼鏡を外してみようという提言!!

ざっくり言うと、人生に目的があると信じている人は、どんな出来事も、その色眼鏡をかけてしか見ようとしない。行動もワンパターンできまりきったものになてしまう。

もし、社会に貢献するため、幸せになるため、成長するため、様々なことを体験するため。。。。。といった目的が人生にあるならば、人間は、その目的を実現するための道具となってしまう。

わかりやすい例を挙げよう。例えば、紙などを切るためのはさみという道具は、踊ることも歌うこともできない。道具は決して楽しむことはできない。もし、人間が何かの目的を実現するための道具なら、なんて味気ない人生だろう。

よく祖父の代から続く商売を継いだ人は、幸せになるために生まれてきたと思っている人が多く、自分が幸せだと感じることしか行動しないだろう。本当は宝物があるかもしれないのに。。。。。

たかが47-8歳の人であと数十年しか生きられない人間が考える幸せ、社会貢献(本当は拝金主義者が多い)、進歩向上なんて大したものではない。自分では想像もつかない可能性も失ってしまう。

色眼鏡をかけなければ、もっともっと多くの可能性を発揮できるのにね。

 

過去のブログも是非お読みください。そうしてくださると本当にうれしい限りです。

 

いよいよ中学3年生の方は・・・・・

いよいよ中学3年生の方は、今日(2月8日)から愛知工業大学名電高校、愛知高校(選抜)、中京高校と試験が続きますので、試験慣れして行ってください。

今の時代は公立も規制があるものの2校受けられますから、全部受けられる高校だけで、たくさんありますから、頭が真っ白になる可能性は0に近いので、実力以上を発揮して当日だけは良い点を取っていただきたいと思っています。【メンタルビゴラス】

頑張れ以外に色々、行ってきましたのでここでは触れずに置きます。私の言辞を胸中にしまって緊張した時は緊張したままで放置してください。

なお慢性のご病気をお持ちでいらっしゃる方は、ぜひ、お薬を忘れないでご飲用くださいませ。

眠気が副作用で来る薬も慢性の方は飲むことでいつ副作用が来て、どうすれば乗り切れるのかお知りだと思いますので、そのことを励行くださいませ。

 

では検討を祈ります。

 

追伸

追伸で大学入試の話に飛んですいません。

よくテレビで10時間寝ていたけれど、東大に入ったというのをやっていますが、珍しいからテレビに出るのです。しかも昔ほど勉強しなくても東大でも入りやすくなりました。

例えば、レオナルドダビンチは何時間睡眠か以前書きましたが、偉人の睡眠時間を参考にして体を壊すことほど、ばかげたことはないと思います。個体差があるのは当たり前なのですから。

 

しかもいつも言うように、16時間勉強したけど日大だったというやつは東京〇〇日〇で部長になりました。早稲田の政経を出ても部長になれない方は多いし東大を出ても部長になれない方も実に多い。

 

4-5時間の睡眠でではなく10時間以上の睡眠で東大に入った人は実をいうと多い。変な脳科学者が出てきてあーだこーだ言います。でも個体差があります。型にはめてはいけません。でも勉強時間が少なく効率よく器用に東大に受かった人は長いサラリーマン人生忍耐力がないので相当時間をかけて頑張って日大法に入った人に負けます。

 

どこに受かったかではなく、どれだけやったかが重要なのです。一生で一度も使わない知識モあるのに我慢してあるいはそこに面白みを意図的に見出し、相当量、頑張った人が零細の社長になっても勝ちます。なぜなら零細の社長様は1日開いていても1人もお客様が来ないという日と言わず来ない月というか来ない年がある。でも意図的になぜ来ないかを考えることに面白みを見出し、頑張るのではなく、普通にふるまっていくことになる。そういうことに受験の時から慣れている。だから時間の長短はあれ成功するんですけれどもね。

間違っても、あいつは勉強しないのにできる奴、天才だと言われいい気になっている裸の王様にはなってほしくない。

頑張って日大以上というカテゴリーに入れば後は、ご自身の実力と運次第である(運も実力のうちト<損保見聞録➡20年以上前の本に伊藤が書かせていただいています>)

 

 

 

 

 

軽いタッチのブログ。

こんばんはー!

ITO ACADEMYの塾長をしています、伊藤琢哉です。

伊藤琢哉のみが、ブログをアップしていますが、わたしたちITO ACADEMYの様子やわたしが日ごろ感じていることなどをもっと発信していきたいな~!と思い立ちましたので、気まぐれにブログをアップしていこうと思います。好きなことを好きな時間に書いておりますので皆さんも好きな時間に好きなだけ古いブログも含めお読みくださると幸いに存じます。

 

実は、保護者の方やほかの他塾の先生たちからITO ACADEMYのブログをよくほめていただきます。エキセントリックでまねができないと・・・・・。

嬉しいですね~!

書ききれないほどある、ITO ACADEMYの素晴らしいところを、どんどん発信していきます!

読んでくださっている皆さん、わたしはコメントがくるととっても嬉しいので、ひとこといただけるともっと更新しちゃいますよ~!

 

コメントは塾のお問い合わせフォームにお書きください。

 

今日は軽いタッチで書いてみました。ハイレベルの高校3年生・浪人生からはお叱りの声が出ることは必定ながら、そこはごご容赦願えればと思います。

インテリの保護者からも今までのブログのほうが良いというお声が出ることはわかっておりますが、そこはご容赦ください。

 

失礼させていただきます。

 

なおお問い合わせの電話の件ですがつながりやすい時間帯が朝の5時から7時くらいまででしたが、消しましたのでご連絡申し上げます。

夜遅く寝て朝早く起きるという生活を送っています。いじめの相談などがおありの方はぜひお越しください。(電話予約必要)

 

料金相談システムに関しまして

おはようございます。

 

個別指導の料金の件ですが、とある大手予備校ですと、90分35000円+税金(医療系コース)、90分17000+税金(通常コース)となっております。それにもろもろの諸経費がかなりかかります。

当校では上記記載の講師と同じ予備校講師が教えても安くなっております。料金相談システムで割り引いたり、医療系の場合は特殊治療の場合、割増でやらせていただいております。

バブルのころは1回10万円というのもざらでした。しかし、今となっては、単なる昔話です。

安かろう悪かろう、で教材費だけ高いというのが一番最悪ですが。

当校では幸いなことに賢明な方にだけ、選んで来てもらっています。

 

ありがたいことだと感謝いたしております。

 

浪人生が受かれば教室がガラガラになります。

 

うれしいことです。静かな教室で、1人勉強できます。

最近、小学生の勉強に興味が出てきました。どう教えるかということにです。

教材を大量に購入して勉強している最中です。1日、どんなに時間があっても足りません。

 

失礼いたします

2017年2月2日【木曜日】15時36分と15時38分のブログの投稿をご覧ください。ホワイトボードの内容が生徒募集の下に書かれております。

                         生徒募集

◆真摯に生徒と向き合うから教室でドラマが生まれる。

◆【同じ】授業は一度たりともない。

◆ワンコイン授業など初の試み多数。

◆廉価な講義から高価な講義まで有。

◆豪華な設備や派手な宣伝はしない。

◆流行の塾でない➡無料延長講義可。

◆守秘義務➡合格実績に写真載せず。

◆教育の機会均等➡授業料金相談有。

 

Such situation seemed to the couple in the village at the foot of the mountain absolutely unbearable.(注)situation;状況 seem;~のように思われる

at the foot of ~;~のふもとに absolutely;極めて unbearable;耐え難い

この文を解体してみましょう、文には大切な物と不要な物があります。どのようにして大切な物を見つければよいのでしょうか?簡単です。不要な物を取り除いてやればよいのです。不要な物とは前置詞+名詞、副詞です。では、例文を使ってごみ取りをしてみましょう。Such situation seemed (to the couple)( in the village)( at the foot )(of the mountain) (absolutely )unbearable.➡ Such situation seemed unbearable.ほら不要な物を取り除いてやるとこんなに短く簡単になったでしょう。和訳は【そのような状況は耐え難いように思われた】となります。英文法ではこの大切な部分の事を【文型】と呼びます。一方、不要な物を、【修飾語】と呼びます。TEL 931-3987 or 09038350106

ITO ACADEMY『アイ・ティー・オー・アカデミー』

http:/www.ito-academy.com 東区筒井2-4-52塾頭 伊藤琢哉➡3月愛知高校(選抜クラス新高校3年生)出講

今は将来の準備期間ではない!

例えば、イマの伊藤琢哉は未熟で不完全だから、将来必要な知識、経験をイマ、身に着けようと考えてしまう。

 

それだと、イマは、将来のための準備期間になってしまう。

しかし、人生に準備期間なんてものがありますか?

本当は、日々ぶっつけ本番が人生だ。たとえ、知識、経験が不足していようとも,イマもてる限りの力を使って、イマ、ココをやりくりするうちに、結果として身につくもので、決して求めるものではないと思う。

例えば歴史に学べ。

豊臣秀吉のイマ、ココをやりくりする力は見事なものだ。清州上の城壁の修復工事だって、知識、経験豊富な前任者がずいぶん時間をかけても、ちっとも進まなかったのに、何の知識、経験もない豊臣秀吉は、たった一週間で修復してしまった。

プレハブ工法の元祖が豊臣秀吉なんだ。

ゼロは無限のエネルギー ゼロからの出発英語という講義がありますよ。

何かを願わなければ、プラスとマイナスは一つに融け合ってゼロになる。

 

それには、日々、積み重ねた知識、経験を捨ててゆくことだと思う。

 

その時、私たちはゼロなんだ。

 

しかしゼロは何もないのではない。その時あらゆる境界線は消え失せ、いのちのエネルギーはは∞となる。

そして、無限の知恵や働きが現れるんだ。

ゼロだからこそ、なんにでもなることができる。真っ白なキャンバスみたいなものだから。

 

思い通りの絵を描くことができるんだ。まさに、0=∞、∞=0なのだ。

 

つまり私たちはどうあるべき?

<道を為す>とは、境界線のない自分に落ち着く事なのだ。

だから、馬頭観音のようなスタミナや行動力、千眼観音のような解決策やひらめき、それを実行する千手観音のようなあざやかな手腕が飛び出して、できないことは何もないということになるのだ。

 

 

 

 

 

 

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