15群を滑り、嫌々、愛知高校に行く。【15の春は泣かせるな】の言葉とは裏腹に、泣きっぱなしであった。いじめられっぱなしであった。
六大学かミッション系の大学にあこがれ、両方兼ね備えた、立教大学に行く。経営学専攻。会計学の熊谷重勝教授の初ゼミ長に抜擢。
(関大法学部他多数、受かっていた。)
皆が公認会計士になっていくのに興味も示さず、アナウンサーを目指す。
名古屋テレビ男のみ採用の最終選考13人に絞られるも、1人星君(横浜国立大卒)のみが受かった。
中京テレビも最終まで残るも、男は神戸大農学部卒の藤井利彦君で女はICU卒の北川美穂さんが受かっただけであった。【男15人、女15人中】
ココでも泣きっぱなしの人生であった。
仕方なく受かった損保へ行く。豊田とか中電も受かっていた。
ココでも【損保見聞録】にも書いたように恥ずかしながら、1日のうち4-5時間は連続で怒られっぱなしであった。
3年でけりをつけ、予備校界に入る。
人気カリスマ講師となる。(いじめから解放される)
重度のヘルニアになる。
胃潰瘍になる。
逆流性食道炎になる。
過敏性腸症候群になる
★人気講師がしんどくなり☆彡任期講師を終了する。46歳
流行るのはシステム上、時間の問題である塾ITO ACADEMYを起業する。【講師時代から生徒が来てくれてはいたので、開いてはいた。】
そして今、講義料金割引希望組が殺到し、お断りしている。今になってまた、いじめられ、泣きっぱなしになっている。〝泣きん子”先生である。