西区の松久君は和歌山県立大ではなく、和歌山県立医科大学に合格の間違いでした。今は立派に医者をやっております。
東京理科大へ行かれた岩田君も立派に名古屋市役所で都市開発のリ-ダー的存在で活躍しております。
みんな、成績が降るわなったお子様も、私との延長講義、歓談の中で人格形成をしてきた方々ばかりのようです。
尚、東大教授の息子の和田君は相当できましたが立教の経営に行きました。ご家庭での教育環境はものすごくよかったです。遺伝以上に教育環境は必要ですね。
彼は先見の明がありました。
今では立教の経営は早稲田の政治経済と並んで、河合の偏差値で67.5ありますからね。
昔はどうであれ今でしょです。
昔も早稲田政経ほどではなったですが難しかったです。私の頃ドイツ留学していた高嶋君が1年留学1年浪人して東京外大のドイツ語学科に受かったものの、立教経営はダメでした。
私が家庭教師をしていた岡崎の某皮膚科(看護師が10人以上立っているクリニック)の息子さんも青学経営は受かりましたが、立教経営はダメでした。
私の知人の早稲田政経を出て弁護士になった加藤君は、弟が青学経営を受かり、立教の経営をすべっっています。
私の知り合いの数学の松岡先生は慶応の商学部は受かりましたが立教の経営はすべっています。
姫が池のそばにある開業医の息子さんも、立教経営滑り、青学経営に行っています。
私の甥は立教をそもそも受けず青学の経営に行っています。
中津川予備校で教えた生徒は立教を全学部受け、すべての学部が不合格だったため、いやいや明治に行っておりましたが、全国人気ランキングNO1の大学なので、明治大学に行って良かったと今では喜んでいます。
1月と2月の直前まで講習会に来ておりました。相当頭のいいやつでした。クールなやつなのでどちらかというと立教向きでした。
旭丘高校から早稲田の政経に行った太田君は私の講義を相当気に入ってくれていた1人でした。
【なにがイ~の?????】と聞いたら【俺について来いという講義がその頃はもうあまりなく、逆に斬新でドラマ以上に熱血な講師像が良かったみたいです】
彼らはすべて活躍しております。
彼ら以外にもここに書ききれないくらいの生徒たちが活躍しております。
今でもあって飲みに行ったり、食事をしたりと、大忙しです。
ランチを一緒にするときもあります。
医者になったやつも多いです。
歯科医の奴も多いです。
歯学部に1点足りなくて板金やで勤めている教え子もいます。
私に進路先の報告に来た時の彼に対する私の第一声が【車の医者になったのね】です。