仕事というのはがむしゃらにやるべきものではなかったと今でも反省している。
いや、一生懸命に仕事に取り組むのは重要だが、働けば働くほど週30コマの講義を押し付けられたのが実情であった。
【ほう、お前はまだ余力がありそうだな。それじゃテキスト編纂もタダでやってもらおうか】と無慈悲な仕事をおしいただくことになるだろう。
もちろん、人の仕事量には限界があるもので、そのうち精神的にまいってしまうのも無理はなかった。
疲労困憊していたら、とんでもないミスをやってしまいかねないのである。
その点、最近、伊藤琢哉は仕事で誰かに迷惑をかけたことが一度もない。
というのも、自分でやれる分だけしか、仕事を引き受けないからである。
自分の実力以上に仕事をやろうとすると、どこかに無理が出る
今では部門制を取っており、事務作業は事務長がやり、講師も科目制でやっている。
では伊藤琢哉は何をしているかというと、英語を教えたり、ブログを書いたり、テキストを作ったりする程度に仕事をセーブしている。
結論:もともと仕事はハイスピードで走り抜ける短距離走ではなく、何十年もかけて走り抜けるマラソンである。
だから、自分のペースを守って、ゆっくりやればいいのだ。
【息が詰まるほど仕事をしていると、精神的な余裕をなくし、そういう人はまた、あまり魅力的に見えない。】
教育の世界では 生徒と先生を取り巻く環境はブラック企業の真逆を行っていなければならない。
余裕のある人が塾長で控えていないと、無料延長なんて発想すら浮かばないし実行しない。【損益分岐点を下回るし、コスパが悪いからである。】
★塾長は頭でっかちでどこかチャイルディッシュで子供が大好きで暇な高等遊民でなければいけない。★