伊藤琢哉は以下のように来ました。
【教育歴】(順不同)
・東京海上日動社員
・早稲田予備校 講師
・東海学園大学 講師
・中京法律専門学校 講師
・河合塾ライセンススクール 講師
・中津川予備校 講師
・名古屋予備校 講師
・名英予備校講師(数々の高校へ特別講師として出張講義に行きました)
・大志塾AXIS予備校 講師
・さくらYELL予備校 講師
・東京サクセス浜松校 講師
・志門塾[岐阜県] 講師
・田村塾 講師【三重県の有名な老舗】
・WIIL予備校講師【尾張旭前校・旭野高校専科】
他 医療系予備校講師、私立高校に特別講師として活動中
・まず最初に名古屋予備校は倒産するまで15年以上だったし、人気NO1だったので、15年以上いました。
・中級法律専門学校は20年以上いました。
・早稲田予備校と大志塾AXIS予備校は3年で倒産いたしましたので3年いました【1年目で合わせて20コマありました】
・東京サクセス浜松校(今は倒産してこの名前ではない形で残っています)は名古屋予備校を4コマやった後に新幹線で行き。3コマやっていました。
・岐阜の大手志門塾さんは、ある方のピンチヒッターで1年の非常勤講師で行っていました。
・田村塾は塾長の代わりにしばらくの間、行っていました。ココが一番、待遇が良かったです。1時間〇マン円でしたから。
・中津川予備校・さくらYELL予備校(のちに改名)は6年以上お世話になりました。
・河合塾ライセンススクールでは 国家公務員2種の経済学と一般教養を教えていました
転石苔を生ぜず A rolling stone gathers no moss.は予備校では通用しません。すぐ代ゼミですら危なくなったわけですから変わり身が早いものでないと勤めることができません。
ですから一体、何回、こいつは予備校を辞めてるんだー。やめさせられてばかりいたんだなー。喧嘩して首になってばかりいたんだなー。いずれにしても1か所で長く勤めることができない落ちこぼれいぇろうだなー。と思われることでしょう。
しかし、それは、認識不足と言わざるを得ません。
この業界は日本式ではないのです。
フレキシビリティ(柔軟さ)を要求されます。1校でも多くの予備校を経験してノウハウを体に染みつけてしまった方が良いのです。
尚、講師の学歴も職歴も書いていない塾もありますが、あれは仕方がないのです。いいことが書けないのです。親御さんに○○大学しか出ていないと小中中心の予備校や塾様は言われてしまうのを忌避するためになのです。
そもそも教え方が良ければ、学歴なんか関係ないですから。
ITO ACADEMY は学歴が全員博士号を取っていませんし、全員が東京六大学や医学部ではなくても堂々と載せています。学歴職歴を載せるのは面接(初めての人に会うとき)では社会では自明の理です。
大手の講師は本をほとんどの方が出されているのでそこで確認すればよいですけれどもね。