私の拙著は22万年まで価値が上がりましたが【基本的には非売品です】ご要望にお応えして中身を紹介させていただきます。
嫌らしい話、これでだいぶお得ですな。
どんなことにおいても人を攻めてはいけないと以前述べた。
人を攻めてるだけじゃだめで、自分が原因を引き受けることが大切だ。
この【引き受け】ができると物事がなぜか【好転し始める】という経験を伊藤琢哉は何回も経験している。
物事がなぜか好転してくるのである。
そしてどうしようもないという壁も崩れ始めるのである。
そうならない方は伊藤琢哉が直接マンツーマンでそのやり方を具体的に指導します。
伊藤琢哉の時代は外来語は日本語に訳さないと減点される時代だった。
キャリアウーマンは【職業婦人】と訳さないと2点減点だった。実際イメージが違うが・・・・・・・・・・・。
サッーカーは【蹴球】でないと×。。。笑ってしまう。
極めつけはオープンカフェ。
俺は【お茶を飲む卓が道路に突き出た喫茶店】という先生もいたので大笑いをしたことがある。
危なくてしょうがないなー。
お茶を飲むのも命がけとか道路交通法に違反していないかと当時思ったものだった。
伊藤琢哉は東京海上日動火災保険株式会社に勤務していた時以下のことが起こった。
あることで守田君が失敗をした。
清水という上司が中根君に聞いた。どうしてこの仕事は失敗したんだと。
そうしたら中根君は【森田の野郎がやらかしたせいなんですよ】と。
上司はやっぱりそうかと。そして中島君はどう思うかと。
そうしたら彼は【森田ではなく私のプロジェクトが悪かったからです】と答えた。
伊藤はどう思うかと聞かれたので【中島君と同じです】と答えた。
ここで必要なのは事実ではなく起こったことは仕方がないので仮に事実がどうであれ絶対人のせいにしないということだけである。
森田に責任があったかどうかはどうでもよい。
人を攻めてるうちはダメで自分が【引き受け】をしないと【だめだ】。
この【引き受け】ができる心の強さ、言い換えると【魂の強さ】を持てるようになれば人はどんどん成長していくといえる。
具体的に言うと、どうしようもないという壁が崩れ始める。
実際、森田はその後、徹夜で自宅で仕事をし、すごい商品を生み出している。
別にむつかしいことはいわない。
人間は日々の人生が修行だということ。
日々の人生といっても3日や3か月など短期ではだめで最低3年修業にはかかると思う。
中学生も、高校生でもどちらかで三年だから修を行うことができると思う。
修業といってもむつかしいことは何もない。
当たり前のことを当たり前にやるだけのこと。
そう具体的に言うと、伊藤琢哉も今日という1日を生ききるつもりだ。
みなもそうしなさい。
素晴らしい人生を送られた人が良く使われる言葉を以下に示す。
・ふとしたことで
・よく
・偶然
・運のよいことに
・たまたま
素晴らしい人生を送られた人が使わない言葉を以下に示す。
・頑張って
・私の才覚で
・私の努力の賜物で
理由は【損保見聞録】(22万円)にも書いてあるが塾の雑談で触れることにする。
何が起こったかで(人の)人生は決まらないと伊藤琢哉は断言する。
【何=起こった出来事】をどう解釈するかで人生が決まると思う。いや絶対決まる。
例えば伊藤琢哉が高校入試で失敗した例を以前出したが、失敗、挫折、喪失、敗北が人生で何回かは必ず誰しもやってくる。
ずいぶん早い人もいるし(中学入試の不合格という学びの場を与えられたラッキーなお子さん)遅めの人もいよう。
ここで重要なことを言うぞ。
【人生で起こることは全て深い意味がある】ということだ。だから前もって覚悟すべきだぞ。
人生におけるすべてのことは自分に責任がある。
これを学べば運気がアップすること間違いなしだぜ。
10:0で責任がないとしても自分に責任はあるのである。
そう思えない人はお金の動きがあるだけなので救われない。
裁判して勝っても運気は下がるばかりであろう。
以下に難しい問題を示す、
明和高校の英語指導を考えた動画を示す。
これもなぜ明和高校が出してくるかを解釈してほしい。
解釈力の一例を示してあ・げ・る。
どうした?
高校入試に落ちました。模試は毎回A判定。中学校の全員の先生から受かると太鼓判を押されていたにのに落ちました。
そうか、【おめでとう】【天か仏か知らんが大いなる逆境が君を育てようとしている機会を作ってくれたんだよ】【天か何かが君に最高の成長を与えようとしている】証や。
以下は塾での雑談にて・・・・・ここからいかに心の緩和ケア―につなげていくかが伊藤マジックの見せ所だぜ。
今のこのご時世では【ごゆるりと】ではだめらしいそうですな。
書店に行くと【効率よく】とか【苦労なく】とか…こんな本がはびこってますな。
俺から言わせりゃこれを手にした時点から苦労するよ。
こんなの見てもいない人は手にする苦労も読む苦労もしないくて本質がわかる可能性があるってもんだ。
修業は3年こらえるだけで良い。高校生は3年だよな。
本来修業は一生なんだが話が難しくなるので割愛するぜ。
俺は高校3年間の1日1日を明日死ぬと思って真剣に生きたら高校3年間で大変なことが起きた。
詳しいことは塾で雑談するぜ。
家庭科の教科書にドカーンと書いてある、【孤食】の時代だと。
伊藤琢哉もそうだと思う。
昔はみんな一緒だった。
例えば固定電話。
家に1件かならずあった。
でも今は固定電話が家にない家庭もあるくらいである。
今は1人に1台から3代携帯電話を持つ時代に変わった。
誤解してほしくない。私は良い悪いは言っていない。これを学校と社会という観点で見てみよう。
学校は(ITO ACADEMYを除いて)正解は1個である。しかも正解主義である。
しかるに一方、社会へ出れば多様である。
どこか昔の電話と今の携帯電話の関係と学校と社会の関係が似ていないかい⁇
そう似ているので学校でやったことが社会では部分的にしか役に立たない可能性が大だということである。
人によっては役に立つ 例えば【がっこうのせんせい】とかになれば。
でも全く役に立たない人も出てくると思う。
社会では頭の悪い人に意見を言わせてみんなで相談し最後に偉い人が正解っぽいことを言うという図式だ。
学校や塾は正解を先生が黒板に書いていく。(これではだめ。集団講義の終焉の幕開けだ)
1対1で雑談も通して考えさせ、ようやく生徒が待ちあぐねた挙句、伊藤琢哉は正解を言う。
この方法論は正しいと信じている。
他の方法は断じて間違いだ。
共感できる人だけ集まりな。