僕らの生きている世界ではいくら考えても、どんな難解な哲学書を読んでもわからないことが山のようにある。
でも長く生きることで若い時わからなかったことでも今となっては容易にわかることがたくさんあると最近悟った。
自分より先に生まれた人からはどの方からも学ぶことがあるはずだし、そういう意味でも目上の方は先生と呼ぼうと思った。
僕らの生きている世界ではいくら考えても、どんな難解な哲学書を読んでもわからないことが山のようにある。
でも長く生きることで若い時わからなかったことでも今となっては容易にわかることがたくさんあると最近悟った。
自分より先に生まれた人からはどの方からも学ぶことがあるはずだし、そういう意味でも目上の方は先生と呼ぼうと思った。
車に乗る際に【どうせぶつかられるなら高級車にぶつかられなさい】という人がいた。
この時点で金持ちと貧乏人を差別している。
私たちは知らず知らずのうちに無意識に人を差別している。
私はどうでもよいが、この発言をした人を差別しないことだけは断っておく。
一見【無駄に思えること】の中に元気の源がある。
奇妙奇天烈なYOUTUBEやエキセントリックなブログを書くことは入塾性をITO ACADEMY から遠ざけることにつながる。
でも伊藤琢哉はそれらに携わることで時給〇万円損し合計で何百万損していると思っている人も多い。
でも元気になるから伊藤琢哉はやる。
以上。
ただそれだけだ。
【お世話や親切はしっぱなし】でよい。
見返りは求めてはいけない。
理由は塾で教えよう。
塾関係の者が言うのは変かもしれませんが【勝つこと以上に価値があるものに気づけるか】が人生の勝敗を決めると思っています。
何が価値があるかは人によって違ったりもします。
それには偏差値・年収などの数値で幸福度を測らないことが大切だ。
具体的にはITO ACADEMY で語ります。
本当は勝ちも負けもないということの勉強を伊藤琢哉と一緒にしていこう。
ITO ACADEMY は世の中に警鐘を乱打するために起業した営利体である。
しかし今世間はコロナで塾どころではないと思う。
よって今年のみ生徒募集を大々的におこなっていない。
最も白状すると今までも大々的どころか営業もせずホームページ以外は口コミのみで成り立ってきた。
考えてみると、今時エキセントリックな塾ではあった。
今後は映像マンツーマンを中心に100パーセント感染しない状況を作っていきたいと思っている。
とにかく最近は細菌ではなくウイルスを気にしてスカイプやズームで講義という形をとっている学生がほとんどだ。
Iはいい大学へ。
Tは東大へ。
Oはお好きな大学へ。
導けるようITO(伊藤)が起業した。
最近すたりゆくものも上記のように短縮形にするとはやると思う。
お寺では仏教・仏だからH・T・Kにするとはやると思う。
若者は短縮形の言葉に弱いからすぐとびつくはずだ。
薬師如来・阿弥陀如来・釈迦牟尼仏だったらY・A・S(安)らかに眠れる。
こうしたらいかがだろうか。
代案はいくらでも浮かぶ。
s・a・y(言う)⇒何でも言える人間になれる⇒発言権を持てる人間育成
釈迦牟尼仏安心保険など作って死後確実に浄土へどうぞという保険を作ったら面白い。
阿弥陀如来ならば南無阿弥陀仏だから阿弥陀如来保険に入りたい際は0120ー7676(なむなむ)とすればよい。
古すぎるものは発想法で最新のものにスイッチできる。
この振子の理論の新着想法をITO ACADEMY は教えている。
よって今までは当校の渋さがわかる人しか入塾していない。以上
自由でいられることが一番幸せだと考える。
例えば中学入試を受けるのも自由、受けないのも自由。
だが、自由でいるためには必要なことがある。
結果の【落とし前】は自分でつけるということだ。
私も高校入試で先生から合格保証済みで失敗したが、自分も含めて誰も恨んだことがない。
そしてよく言われることだがあの時があるから今がある。到底こうは思えなかった。
入試にすべらなかったらもっと良い今があると未熟な若いころは考えていた。
でも今は違う。
年齢を重ねて中年になってわかったことがある。
一言でいうと逆菩薩という言葉だ。
あの頃失敗していた方が良かったといえる瞬間がある時来たのである。
詳しいことはITO ACADEMY に聞きにいらしてくださいませ。
私は教える時いつも立場・しがらみ・しばりからフリーでいる。
そして生徒に向き合う。
若干下から目線で。
たとえるなら喫茶店で雑談をしているのにためになったことが聞けるといった感じだ。
伊藤琢哉の講義は生徒が必要な科目である英語が身に着くような快適ゾーンににあるといわれて30年。
教えるときの気持ちは東京海上日動火災の時の営業マンをしていた時と同じだ。
ただしノルマはない。
図式で表すと;東京海上日動の営業マンのトーク-学校教師のトーク+アナウンサー最終試験の時のトーク+予備校講師時代のトーク+素のままの伊藤琢哉のトーク-YOUTUBEのトークだ。
私は生徒とは本音で語り合う。
私が生徒とけんかにならないのは、信頼関係ができているから。
例えばこのあいだカップラーメンの話になった。
生徒が言ってきた。
【カップラーメンってたまに食べたくなりますよね】
伊藤もそう思ったがわざと次のように返答した。
【大体のものがたまに食べたくなるよ】と。
【君のたまには週1じゃねー】と。
生徒は大いにうなづき笑った。
これは普段インスタントのものを食べず高級な和食や家庭での食事しか基本的には口にしない2人【生徒と伊藤の間に暗黙の了解があるから】だから会話が成立しているのだ。
冗談も通じ合える仲なのだ。
ここまでの絆を延長講義で構築する。(毎日来ている生徒は家族より長く話す)
よって勉強をしたことがない(びりの経験すらないお子様)や芸術系(レッスンや練習に忙しい方)にはうってつけの塾だ。