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もはや自分の夢などどうでもよい

次にチューリップの【心の旅】という曲の歌詞の一部を示す。

【自分の大きな夢を追うことが今までの僕の仕事だったけど君を(君たち家族に変更を)幸せにすることこそがこれからの僕の生きるしるし】

この曲通りの心境なのである。

利他主義とかアルツルイムズという言葉は使わないでほしい。台無しである。(よく社長で利他の心で生きるという壊れかけの家訓みたいなのがあるがありゃー論外)

広い視野で見すぎる癖がついているのが官僚・政治家

官僚や政治家の先生方は経済を回すにはどうしたら・・・・そんなことばかり考えている。

ありがたいことである。

でもこれが行き過ぎると人が機械に見えてくる。

例えば出生率は何パーセントになったら持たないとか・・・

そうすると以前申し上げたように少し前の話になるがになるが【女性は産む機械】という柳沢大臣の発言にうなづけないではない。

結局、振子の理論で広い視野を持った人が視野狭窄のことを言ってしまうこともある。

私はここから学ぶことは人間は弱いのだから許してあげようではないかと・・・・・【相手の立場に立って考えたい】教えることは相手に合わせる究極のサービス業なんだよ。

 

何が大事なの

何が大事か?

ズバリ【やる気自身】

つまり【スピリッツ】は力だ。

でも変だよ。

何が?

【力自体】は知識からしか生まれないよ。

そうするとその力を与える(教える)先生の人格にかかっているといえる。

でも問題が起きる。

そんな先生を誰が育てるの?

人徳教師不在の日本だもん。

 

その見方であっていますか

人を見下したり【上から目線】、巨視的だったりと・・・・

見方が狭過ぎませんか。

私はどうして包括的に(comprehensive)に見る力がない人が多いかとってもとっても不思議なんですー。

 

 

なんでも試験で判断するのはおかしすぎるだろ

私はペーパー試験はどんな類のものでもバランスを欠いたものだと定義する。

偏ったものがペーパー試験だと。

そうだとしたらペーパー試験だけで採用不採用や合否を判断するのはおかしいし、そんなもんに落ちたからと言って嘆くのはばかげていると言えないか。

ペーパー試験ができて有頂天になっているのは私から見れば滑稽でそういう方は社会に出てからめちゃくちゃ苦労することだろうと思う。

生徒が指導の塾えっえっえっ

従来より当塾は行っていたが今回新たに【マンツーマンでアウトプット】と銘打って今まで以上に効果を期待する。

生徒は先生の講義を分かったつもりでいても例えば80%わかったつもりでも実際は60-70パーセントのことが多い。

そこで先生の講義のあと、生徒に既習したばかりの内容を説明させる。(アウトプットさせる→テスト式でもドリル式でもないことが大切だ)

これは生徒の理解度をチェックするためのみならず再現すること・表現することの根源的力の養成に気遣ったものだ。

実際に今年の夏休み高校2年生の子に英語の熟語の指導を行った。

彼はもともと熟語が全く頭に入らなかった。

生徒は今では熟語を【覚えなくてもできる熟語】を先生から習ったので生徒が新たな熟語を見ても熟語を覚えていなくても私の講義を再現し応用することができた。(できるようになるまで発展した)→アウトプットで試すのが一番良いと確信を持てた。

この生徒は特に目を見張るものがあった。

セミナー

セミナーっていうのは聞かなくてもよいというのが究極の教育だ。

例えば松◎◎◎塾はセミナーで政治を教えているようなところ。

前◎◎◎氏はセミナーを受けていても古い話だが、偽メール事件を見抜けなかった。

やはり知育教育で知育はむなしい。

なぜなら知識そのものが間違っているという可能性があり根源的にむなしいからだ。

以下略

塾選びは少しだけでも自分を助けてくれるセミナーを行うところへ行ってほしいものだ。

ガチンコは嫌い

私は、相撲という国技でも観客にわからない程度に手を抜くのが好きだ。

【人情八百長】っていいねー。

関心がないことはいいことだ。

政治に関心がない。いいことだ。平和ってことでしょ。

学歴に関心がない。いいことだ。学歴フィルターが昔よりいい意味で薄れてきたと言うことでしょ。

まだまだある。

塾へ聞きにいらしてくださいませ。

 

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