私は、相撲という国技でも観客にわからない程度に手を抜くのが好きだ。
【人情八百長】っていいねー。
私は、相撲という国技でも観客にわからない程度に手を抜くのが好きだ。
【人情八百長】っていいねー。
上から目線ができない人で世界を底から見ている人。
非情になり切れぬ詩人思想家。
簡単に言うとこんな感じかな。
政治に関心がない。いいことだ。平和ってことでしょ。
学歴に関心がない。いいことだ。学歴フィルターが昔よりいい意味で薄れてきたと言うことでしょ。
まだまだある。
塾へ聞きにいらしてくださいませ。
一番良い先生からの教育が一番良いとしたら先生が不要なのが一番良い教育だと思える。
それでもって各人のポテンシャル能力を最大限に引き出せればこんないいことはないといえる。
GOOD EDUCATIONとは生徒をうまくEDUCATEできれば様々な方法論があると思う。
当校では多種多様な教育法を施している。
大衆とはオルデガも言っていたが私も同じ意見だ。
大衆とは知識を持っていない人たちという意味ではない。
ではどういうものを私は大衆と思うか。
今、学問・情報自体がせせこましくパターン化され技術化され単純化され果ては流行に乗せられ・・・・・
そんなものの先頭を行っているのが大衆だと思う。
例を挙げるとしたらだいぶすたれてきたがタピオカショップや・医歯薬予備校も・・・・・・
講義・覚え方の一例を示す。
シャープと言ったら【鋭い】シャーペンと言ったらメカニカルペンシル→sharp pain と言ったら鋭い痛み→acute painも同じ・・・・
伊藤琢哉が生徒に教えればコツをつかみ生徒が伊藤に教えてくれるようになっていきました。
今までは全員そうでした。
そこでこの度、生徒が教える塾と銘打ってITO ACADEMY船は出ることになりました。
舵を切り間違えませんし、進む方向も大丈夫、何かあっても保険をつけて別の方法論も考えるというリスクマネジメントも【スルー】できています。
サーみんな乗り込め。
本気で遊ぶ子供は子供っぽくない。
子供が子供っぽくなる【だらしなくなる】のは要するにゲームでも何でもよいがルールがわからなくなって何をやっていいかちんぷんかんぷんになり、手に負えない状態に陥る時である。
ルールに基づいて(ルールを大人に教えてもらって)子供が遊んでいるときは彼の(彼女の)目はらんらんと輝き勝った負けたの世界でもとても充実感を感じられるようになっている。
(子供を脱皮し大人になる時だ)
ルール付きの遊びはいかに重要かがわかってもらえたであろうか。
逆に大人はどうかというと【遊びの小児病化】が進んでいる。
テレビ一つとっても下卑た笑いがはびこっているではないか。
学校の先生にはなりたくなかった。(一番なりたくない職業が学校の教員・公務員であった)→やることが多いから→仕事が煩雑になるのが嫌だった
教科指導のみに特化したかった。
なんでも屋など聖職はできようはずもなかった。
予備校講師は嫌われれば1コマでもおさらばの世界。
濁職でおもろかった。
今は大手の人気予備校講師も多かれ少なかれ手を汚し犯罪者になってしまった。
残念だ。
生徒(彼女)と結婚する気もないのに付き合う不逞の輩が最近は多いですぞよ。
これじゃー濁職者ならぬ聖職者ならぬ生殖者だー。
以前のブログの話に話が戻るが【じょせいはうむどうぐじゃないぞよ。】
村上春樹氏に至ってもジョージオーウェルの1984をパクっている。
予備校に人気講師のVの数―1=接続詞・関係詞の数などパクる人が1人だけいて予備校で人気講師になった人がいても不思議はないのものもうなずけますな。
軽々しく希望を語るよりは1回くらい絶望を感じたほうが良いと思うぞ。
それより下はないどん底を若い多感な時期に経験しておくとそれ以降その事象より不幸なことは起きないんだなこれが不思議と。
僕の場合は高校入試不合格より不幸なことは起きなかったね(ここはこだわらざるを得ない)
そののち幸福なことがあったのだからお前はいいじゃんと言われるが僕はそうは思わない。
後が幸福であればあるほど高校入試との差が歴然と眼前に現れ、すべったことが不幸であり目をそらしてはいけないこととなる。
そう、受験も戦争なのだ。
風化させてはいけない。