※誰も証明してくれないところで※信じられる物事が自分にあったらそれこそが信じるということだ。
誰かが証明してくれない限り信じられないものはやはり本当に信じられるものではないので人生においては信じちゃいかんと思う。
先生が受かるといった・偏差値の判定が毎回A判定だった・・・・→信じる人は救われない。
やはり他者からの証明なしで自らを信じて【自信】と書くわけだ。
この際、根拠のない自信も含めてもよい。
伊藤琢哉の場合は自分から発せられているものであれば運が味方し良い結果につながる場合が多かったなー。
宗教は嫌いなので宗教がかったことを言う気はさらさらないが【やはり運は’自分の考え方’が呼ぶものである】と人生の節目節目で学ばせてもらうことが多かった。
※ニュートンの法則を信とは呼ばない。
あれは単なる【科学的常識】
なーんっでか
それはね、証明ができるから。
おまけ
伊藤琢哉の独特の解説を載せる。
難しくても聞いてくれると幸いである。