私はペーパー試験はどんな類のものでもバランスを欠いたものだと定義する。
偏ったものがペーパー試験だと。
そうだとしたらペーパー試験だけで採用不採用や合否を判断するのはおかしいし、そんなもんに落ちたからと言って嘆くのはばかげていると言えないか。
ペーパー試験ができて有頂天になっているのは私から見れば滑稽でそういう方は社会に出てからめちゃくちゃ苦労することだろうと思う。
私はペーパー試験はどんな類のものでもバランスを欠いたものだと定義する。
偏ったものがペーパー試験だと。
そうだとしたらペーパー試験だけで採用不採用や合否を判断するのはおかしいし、そんなもんに落ちたからと言って嘆くのはばかげていると言えないか。
ペーパー試験ができて有頂天になっているのは私から見れば滑稽でそういう方は社会に出てからめちゃくちゃ苦労することだろうと思う。
従来より当塾は行っていたが今回新たに【マンツーマンでアウトプット】と銘打って今まで以上に効果を期待する。
生徒は先生の講義を分かったつもりでいても例えば80%わかったつもりでも実際は60-70パーセントのことが多い。
そこで先生の講義のあと、生徒に既習したばかりの内容を説明させる。(アウトプットさせる→テスト式でもドリル式でもないことが大切だ)
これは生徒の理解度をチェックするためのみならず再現すること・表現することの根源的力の養成に気遣ったものだ。
実際に今年の夏休み高校2年生の子に英語の熟語の指導を行った。
彼はもともと熟語が全く頭に入らなかった。
生徒は今では熟語を【覚えなくてもできる熟語】を先生から習ったので生徒が新たな熟語を見ても熟語を覚えていなくても私の講義を再現し応用することができた。(できるようになるまで発展した)→アウトプットで試すのが一番良いと確信を持てた。
この生徒は特に目を見張るものがあった。
セミナーっていうのは聞かなくてもよいというのが究極の教育だ。
例えば松◎◎◎塾はセミナーで政治を教えているようなところ。
前◎◎◎氏はセミナーを受けていても古い話だが、偽メール事件を見抜けなかった。
やはり知育教育で知育はむなしい。
なぜなら知識そのものが間違っているという可能性があり根源的にむなしいからだ。
以下略
塾選びは少しだけでも自分を助けてくれるセミナーを行うところへ行ってほしいものだ。
私は、相撲という国技でも観客にわからない程度に手を抜くのが好きだ。
【人情八百長】っていいねー。
上から目線ができない人で世界を底から見ている人。
非情になり切れぬ詩人思想家。
簡単に言うとこんな感じかな。
政治に関心がない。いいことだ。平和ってことでしょ。
学歴に関心がない。いいことだ。学歴フィルターが昔よりいい意味で薄れてきたと言うことでしょ。
まだまだある。
塾へ聞きにいらしてくださいませ。
一番良い先生からの教育が一番良いとしたら先生が不要なのが一番良い教育だと思える。
それでもって各人のポテンシャル能力を最大限に引き出せればこんないいことはないといえる。
GOOD EDUCATIONとは生徒をうまくEDUCATEできれば様々な方法論があると思う。
当校では多種多様な教育法を施している。
大衆とはオルデガも言っていたが私も同じ意見だ。
大衆とは知識を持っていない人たちという意味ではない。
ではどういうものを私は大衆と思うか。
今、学問・情報自体がせせこましくパターン化され技術化され単純化され果ては流行に乗せられ・・・・・
そんなものの先頭を行っているのが大衆だと思う。
例を挙げるとしたらだいぶすたれてきたがタピオカショップや・医歯薬予備校も・・・・・・
講義・覚え方の一例を示す。
シャープと言ったら【鋭い】シャーペンと言ったらメカニカルペンシル→sharp pain と言ったら鋭い痛み→acute painも同じ・・・・
伊藤琢哉が生徒に教えればコツをつかみ生徒が伊藤に教えてくれるようになっていきました。
今までは全員そうでした。
そこでこの度、生徒が教える塾と銘打ってITO ACADEMY船は出ることになりました。
舵を切り間違えませんし、進む方向も大丈夫、何かあっても保険をつけて別の方法論も考えるというリスクマネジメントも【スルー】できています。
サーみんな乗り込め。
本気で遊ぶ子供は子供っぽくない。
子供が子供っぽくなる【だらしなくなる】のは要するにゲームでも何でもよいがルールがわからなくなって何をやっていいかちんぷんかんぷんになり、手に負えない状態に陥る時である。
ルールに基づいて(ルールを大人に教えてもらって)子供が遊んでいるときは彼の(彼女の)目はらんらんと輝き勝った負けたの世界でもとても充実感を感じられるようになっている。
(子供を脱皮し大人になる時だ)
ルール付きの遊びはいかに重要かがわかってもらえたであろうか。
逆に大人はどうかというと【遊びの小児病化】が進んでいる。
テレビ一つとっても下卑た笑いがはびこっているではないか。