失敗学から学ぼう!!!
お知らせ
Rebirth!復興!
Rebirth!!再び盛んになります!
教室でもオンラインでも行います。
下記の①②中心の予備校に変貌を遂げます。
- ① 医学部・医科大学の進級対策
- ② 医師国家試験対策
- ゴールデンウィーク前後にオンライン講座が込み合っています。
- 令和5年4月24日今日から早めにご予約下さいませ。(教室予約をお待ちいたしております。)
March御三家は? 今後はRJKの時代に!!
MARCH御三家は 中央法・立教経営・青学国際政経
近い将来、RJKの時代に!!
立教・上智・慶応
教室の人気順;さー再開しよう!!
ランニングマシンがある教室>酸素欲ができる機械がある教室>塾長室
という人も入れば
カウンセリングルームが狭過ぎて落ち着くという方もいらっしゃいます。
アクリル板>ホワイトボード>黒板の順に人気があります
前例のない講義
お電話でお問い合わせまくってくださいませ。
どんなことでも結構でございます。
ご遠慮なくお願いいたします。
ホームページのお問い合わせ欄からお問い合わせいただいても構いません。
一つ何卒よろしくお願いいたします。
教える行為そのものはともすればそもそも傲慢な行為ですか?
伊藤琢哉の経験上、立派な教師でないと立派な子供は育てられない。
では立派な教師を誰が育てるんだという永遠の謎がある。
昔から教育論というのは知識人にとってのつまずきの石(stumbling block) と言われている。
教育論にだけは手を出すなと。
そこで偉そうなことを言うためには、自分自身が神に近いというような完璧な人間だというような錯覚でも持たなければ人を【こうすべき・ああすべき】とは言えないんですね。
それは昔からわかっていたこととは思うんですけれどもね。
【こうすればよくなる】【幸せになる】などと人に向かって言うようなことはやはりいうべきことではない。
人それぞれ持って生まれた【大きな制限】とか、【運命や宿命】があってその中で【何か可能性】を引きずり出すのに【若干の貢献】をするかもしれない。
うまくすれば、【その人の可能性をエデュース(誘発する)】できるかもしれないというのは
エデュケーターつまり【教育者のギリギリの可能性】であって、それ以上のことを人様に向かって啓発したり、教育したりすることは、伊藤琢哉から言わせれば右であれ左であれ【傲慢】だと思う。
一部改変ありなのでお問い合わせくださいませ
昔のブログ 時には破れかぶれでいけ 暴君として試験に対峙せよ
昔のセンターを当日解答なしで弾丸並みの速さで【いい加減に解く】【9割以上なら良い】を信条に解いていっている。
今後センター試験が私立国立2次試験共通テストのリーディングにどうつなげるかITO・ACADEMYにお越しくださいませ。
共通テスト対策はITO・ACADEMYで伊藤琢哉と一緒にやりましょう。
https://youtu.be/pTEJeDqkcwc