ウェルカム
浪人・無駄なルート・寄り道・生産性の無さ・金なし人生の楽しみ方・金持ち人生の楽しみ方・
異性にもてたいと思ったことはないはず(自分のタイプの異性にだけもてたいと思ったことしかない。)
★無駄こそ文化・寄り道をやめればいつでも超要領よくいける人間の育成(余裕をぶっこく大切さ)
答えのない事にも沢山の別解をつけてあなたに正解のものを出して見せます(占いなどよりは当たる)
ウェルカム
浪人・無駄なルート・寄り道・生産性の無さ・金なし人生の楽しみ方・金持ち人生の楽しみ方・
異性にもてたいと思ったことはないはず(自分のタイプの異性にだけもてたいと思ったことしかない。)
★無駄こそ文化・寄り道をやめればいつでも超要領よくいける人間の育成(余裕をぶっこく大切さ)
答えのない事にも沢山の別解をつけてあなたに正解のものを出して見せます(占いなどよりは当たる)
数学は1講で3問しか進まない予備校・塾は遅すぎると思う。
問題を解いた結果、できる問題ばかりだったら講義に出て無為な時間を過ごしたなと思う。
第一、できる人にはかったるい。
でも、できる人には講義料金が無料だから予備校に文句は言えない仕掛けがある。
できる人は解ける問題ばかりテキストに出ているから講義に結局は出なくなる。
でも予備校・塾はそういう生徒こそ東大・京大・医学部に受かってくれるので欠席されても文句なし!
もう一度言う。
できる生徒は講義料無料で合格を自力ででき予備校サイドは合格実績を作れる。
双務契約だ。
上の層(生徒)はトポスとして予備校を利用するだけ。
予備校とできる生徒は等価交換を行っている。
成績上位組の生徒群は【いっちょ前の生徒群】だ。
彼らは必要性を感じ、英語だけは超長文対策に個人の英語塾に来ている。
あとは自習あるのみで教わらない個人英語塾に群れを成す。
使い分けが実に巧みだ。
人間に言葉がなかったら人間はそこまで深くまで考えないので言葉があったが故の無駄な自殺をかなり食い止められたのにと思えてならない。
例えば哲学者で自殺者は多い。
偉い作家や学者も自殺者は多い。
これらの人は多くの言葉を頻繁に使うことが多いから。
人間が言葉を使うようになった呪いだな。
ITO・ACADEMYでの勉強は社会に出てからも生きていくうえでも役に立つ。
PPIってわかりますよね。(ピンピン伊藤じゃないですよ)
逆流性食道炎の患者様で一流大を出た人は全員分かりますよ。
少なくとも伊藤琢哉から教わった人は100%わかる。
受験で
A from Bをとるものすべてを体系的にITO・ACADEMYでは教え医療系の雑談も当校の生徒は伊藤琢哉にされているので分るかる。
★inhibit A from B→AをBから阻害する
と生徒は伊藤琢哉から習って知っている。
あとは逆流性食道炎なので 【プロトン ポンプ = P P】とわかる。
これはH2ブロッカーより強いよね。
だってガスター10は市販されてるけれどPPIは薬局に売っていないことからも容易に想像できるよね。
詳しい話は30分かかります。
PPIとはプロトン ポンプ インヒビター の頭文字ですね。
早稲田の英語の長文はジョンスチュアート・ミルの【自由論】からの出題もありました。
ITO・ACADEMYでいつも取り上げているものの一部なので同じ英文にもぶち当たることが出来ました。
ITO・ACADEMY の講義は【建築と破壊の中間】だ。
deconstruction=脱構築 deをとると反対の意味で皆さん知っている有名な単語だ。
何を建てて何を破壊するのかをお知りになりたい方は体験学習にお越しくださいませ。
スパルタで教えすぎる塾の方式も取り入れ・教えない塾の方式も取り入れる。
今度は真逆にする。
肯定していたものを否定しその逆もする。
ニグレクトから過干渉に。
その真逆に。
交互に取り入れ1か月後-半年後にその子のあっている方式で指導を行う。
【目的】
そもそも講師の話自体は生徒にとってはどうでもよく、別の話が重要でないかとの【気づき】への到達
教えない塾やスパルタ塾(知識の詰め込み塾)に向いていない生徒に施される個人指導です。
夜の現役部では働かない。
日中しか働かない。
浪人ゼロ時代でも浪人生がいないわけではない。
こちらには選民思想がある。
少ないコマ数で高額なギャラで講義をするだけ。
それに比し予備校講師以外の教える連中は苦役者。
私は【予備校講師のような昼の光に夜の闇の深さがわかってなるものか】と言いたい。
と同時に【人間の狂気】を具備していないとブラック(教員など)・夜の商売(塾講師)・水商売(塾経営者)はできない。
【仏道を習うというは自己を習うなり・自己を習うというは自己を忘るるなり】
頭の中にある良い悪いという考えを忘れろ。
完全に記憶からなくなるのではない。
全て自分の意見に固執しないで、ちょっと捨ててみろ。
例えば井戸水のように時々水を捨ててみないとたまってきてしまう。
井戸水の中にどんどん水をつめてしまうと下の水がわからなくなる。
たまには水を取ってやらないと・・・
本当の命、考え方とか自分のすばらしさが出て来ない。
自己を変えると新しい現実に見合った考え方が出てくる。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。
本文 | ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。 |
現代語訳 | ゆく河の水の流れは絶える事がなく流れ続ける状態にあって、それでいて、それぞれのもともとの水ではない。 |
本文解釈 | 「ゆく河の流れ」というのは、流れて行く河の水のことを指しています。河が流れて行く様子を見ていると、池や沼とは異なり、とうとうと流れて行き、その水の流れは、河がなくならない限り絶えることはありません。『方丈記』の作者とされる鴨長明は、流れる河の水が、二度と戻らない事を見、「無常」という仏教の言葉と重ね合わせて、「常に同じものはこの世には無い」と強く感じて、この冒頭の文章を書き始めたと多くの人に解釈されています。 鴨長明の生きた時代は、戦乱が多く、天災や火災も多かったということが、『方丈記』の中に描かれています。 世の中に常なるものがないけれども、河の流れ自体は絶えないというある種の「歴史観」を、鴨長明は河にたとえて描きました。 「爽健美茶」のコマーシャルソングとしてよくしられる森山直太朗の「時の行方 ~序・春の空~」という歌でも「自然の移ろい」に時の流れをたくし、美空ひばりの「川の流れのように」では時の流れを河の流れにたとえていますが、これらの「時」の感覚は、鴨長明の『方丈記』の冒頭によって強く印象付けられ、鴨長明が感じた無常観は、『方丈記』によって伝えられて、現在でも、多くの文学作品に登場します。 |
文法解説 | 「絶えずして」の「ず」は打消しの助動詞「ず」の連用形です。「して」は、接続の助動詞「して」で、「-の状態にあって」という意味です。「しかも」は、もともと接続詞でしたが、ここでは、副詞で、「それでいて」というように使われています。今現在では、「なおその上に」という意味で使用されることが多いですが、ここでは、「それでいて」と訳されます。現代語訳のところで、何故「それでいて」と訳すかについて現在の古文の先生の多くの解釈についてお話しますが、ここで、少し立ち止まって、何故そう訳すのかを考えてみてください。「あらず」の「ず」は打消しの助動詞、「ず」の終止形です。 |
簡潔な現代語にすると、「流れゆく河の水の流れは絶えて無くなることがないが、それでいて、流れる水の一つ一つは同じ水ではない。」と訳せるでしょう。「ないが」の「が」という訳は、おかしいと感じられるかもしれません。しかし、「流れゆく水は絶えなくて(常なるもの)」と「同じ水ではない(無常なるもの)」という相反する考え方を繋ぐためには、「が」という語を使い、「それでいて」を活かすとよいでしょう。一般的には、「行く川の流れは絶えることなく、それでいて、この瞬間に流れている水はもとの水ではない。」という訳がされます。
この世に同じものなど二つと無く、それでいて、流れ自体が絶えないという、仏教の世界観に貫かれた書き出しといえるでしょう。 |
たましきの都のうちに、棟(むね)を並べ、甍を争へる、高き、いやしき人の住ひは、世々を経て、尽きせぬ物なれど、是をまことかと尋れば、昔しありし家は稀なり。或は去年(こぞ)焼けて今年つくれり。或は大家(おほいへ)ほろびて小家(こいへ)となる。住む人も是に同じ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似りける。
不知、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。又不知、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、主と栖と、無常を争ふさま、いはゞあさがほの露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕べを待つ事なし
ITO ACADEMYで重視していること
・他の能力を具備しつつ直覚を到達点とする
・もはや自他利行ではなくアルツルイムズ(他者志向)のみを目指す
・分らぬ問題を伊藤琢哉に質問し続けること。毎日365日同じ質問をしてでもいいから分る迄する事