皆さんおはようございます。
今日は、価値観は時代、世代、人によってこうも違うものかという話をさせていただきます。
少々のお時間をいただきます。どうか、お付き合いくださいませ。
昔、私が大手保険会社にいたときの会社内での話ですが、下の階に降りてきて
新入社員の女性に【○○ちゃーん】と言って後ろから抱き着いて来たり、臀部を触って来たりする重役がいたものでした。
この事実が何の問題もない時代がありました。
重役は【触られるうちが花】と言っていました。私だけが異端児なので違和感を感じていました。
そこで女子社員は嫌がっているのではありませんかと私は重役に言ったことがあります。
そしたら始末書を書かせられました。私は会社内でその時代には常識に反する輩であったわけですね。
つまり伊藤琢哉のやった行動は当時、某保険会社では不正解であった。
でも時代が変わって今は当時の会社の方々はみな不正解であったという事実だけが残りました。
今でも思ってます。社会に出れば正解などないということを。
よく【あいつは世間知らずだから視野狭窄で、社会不適格者だから非常識なことをやる】という人がいます。
そういう方に限って自分の側の常識に沿って人を動かそうとし、相手の事を世間知らずと言い(ご自分が世間知らずなことはいいことに)、世間知らずなことをやる。
だから我を通そう、自分はいつも正解だと思っている人がいるとしたらそのこと自体が大間違いだという事実だけが残るということですね。
例えば今、年齢が70代以上の方は【食えること】が大事だった。
そこから下の世代は違うんですよね。
もうお分かりでしょう。
世代によって価値観が違うのです。
たぶん男と女も価値観が違うでしょう。
生徒と先生も価値観が違うでしょう。
同じ大学の同じ学部で同じゼミで同じ会社に入っていた親友など価値観が同じ部分も多いので、若干価値観が違うと大げんかになりますもんね。
夫婦喧嘩、親子喧嘩も同じようなもんです。
同じ遺伝的因子なの【ぶつかり合う】でしょう。
でもここで大事なのは、まさに自分の立場を通しながら相手に【歩み寄ること】だと思います。
一番駄目なのは人を動かそうとすること。
そのための手段として一番やってはいけないことは、暴力、言葉の暴力、大声で持論を通そうとすることです。
これをやるとどうなるかお教えいたしましょう。
人が自分から離れていきます。
ですからいくら事実が合っていても、品よく話し合いをして解決されんことを祈願いたし、今朝の言葉とさせていただきます。
最後までお読みくださり有難うございました。