お知らせ

当塾は当塾を去る人々にとって心のトポス的存在でありたい

ITO ACADEMYから一流の人々(講師・生徒)は時間がかかってもよいので巣立っていってほしい。

一言でいえば、【ITO ACADEMYに来なくてもよい人間】になってもらいたい。

ITO ACADEMYに【びり】の人はいない。

【びりかどうかさえ分からない人たち】が集う。

ただ、一回も英語を勉強したことがない高校生はたくさんいる。

芸術系・音楽系の高校に通い一芸にかなり秀でている逸材も少なからず集う。

そういった子たちは、英語を効率的に習いたがるのみならず、情緒にあふれた英語指導を求めてくる。

【伊藤琢哉】は他予備校や他塾では30年ほど教えてきたわけだが、

でも他校では見受けられない生徒が【ITO ACADEMY】には集うのである。

繰り返しになるが、【いつか】というか【最後には】【一流の人】にし、もう0からその人を教えなくてもよくするつまり、【教えない塾】となり、その後は心の絆、ボンドのみ伊藤琢哉と交わしに来る。

そんな仕事を生業としてきた。

こんな幸せな30年を本当にありがとう。

 

 

0から出直し英語

当塾には何らかの理由で中学から高校生になるまでアルファベットから英語の講義を聞いてこなかった高校生が少なからずいる。

ここでプロしか教えられない【日本一小さな塾】の存在意義がある。

毎日教わることで毎回弱音を吐いていた生徒も、問題が解けてくるので自信がついてくる。

高校英語の問題が数か月後に解けるようになっても弱音を生徒は毎回吐く。

これは弱音を吐くのが癖になっているから。

夢がかなうかどうかは自己責任だが少なくとも講師陣は最強のアシスタントではある。

合格保証で免責ありなどというまやかしの術は当塾には存在しない。

教えない塾もいいが【ゼロから教える塾】もよくないか?

当塾は様々な学校で現役で教えている講師である。

名前は出さないが、例えば旭野高校対策をやってくれと言われれば即できる講師が集う。

例えば、ITO ACADEMYの英語講師で伊藤という講師がいる。

伊藤という講師は旭野高校の定期テスト対策をしている予備校の現職講師もしているのである。

他予備校・他塾の批判を伊藤もしないのはITO ACADEMYの講師は他のどこかの学校で教えているので、他予備校を批判するということは自分が教えている予備校を批判する形となるからである。

現職予備校講師か高等教育機関で教えている専門家で、教える場数を踏んだ数が多い講師をITO ACADEMYではプロ講師と呼んでいる。

受からせる講師が集まっているというほらは吹きたくない。

 

受かるかどうかは自己責任だからである。

ITO ACADEMYでのよい先生かどうかの基準は思考力をつけてくれる講師かどうかで決めている。

特に論理的思考力には重きを置き、これに長け、この指導がすさまじくわかりやすい人を採用している。

以上

 

 

 

社会に出たら正解はない

【ITO ACADEMY】で教えていることは、【様々な思考過程】と【多くの誤答】である。

指導方針の柱は、この2つで、かなり重きを置いている。

生徒はこの指導の結果【解なし】もこたえられるようになる。

塾生にフレキシブルな思考力が養成されるのは【ITO ACADEMY】での指導の・訓練の賜(たまもの)だというわけだ。

結果、正解が一つとは限らないし正解がないこともあるという事を紙の学問でもITO ACADEMYの生徒は学ぶ。

だからITO ACADEMYの卒塾性はみんな社会に出ると自発的にものをよーく考えることができ、社会に出ても正解はないという事に

【自然と】【すーと】入っていける。

このパワーでITO ACADEMYの塾生は就社の入り口から定年退職(途中退社)まで【すんなりと】【スムーズに】行ける。

 

 

2月は15日に3月は16日に

2月は、15日に言語聴覚士の試験があり、3月は、1日ずれて16日に伊藤琢哉の誕生日がある。

私的には、言うまでもなく前者が圧倒的に大切な日だ。

京都から通われていた生徒に受かってほしいからだ。

後者は年寄りにはうれしくない儀式だ。

誕生日ってなんでなくならないのかな?_

以上。

 

 

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