今日は中京高校の入試でした。
中には、問題数が多すぎる科目があり、時間内に終わるのが大変だったという塾生がいました。
伊藤琢哉
今日は中京高校の入試でした。
中には、問題数が多すぎる科目があり、時間内に終わるのが大変だったという塾生がいました。
伊藤琢哉
今日は中京高校受験の日です。愛知高校も受けられた生徒さんは英語の長文が多いので集中力が途切れたと言っている人も数人いましたが、気にせず今日も高校受験をする人は、過去の事は忘れ頑張ってきていただきたいと思います。
愛知高校受験お疲れ様でした。細かいことは普段のように触れません。今日の事は忘れ明日以降、中京高校などを受験される方は頑張ってきてください。
戦国時代のように生きていくことが精いっぱいの時代ならば、もっと生産価値の高い仕事、私にしかできないような仕事をしたいなんて主張する余裕はないだろう。ある意味幸せと言えるのかもしれない。今の時代なりたいものに頑張ればなれる。毎日、趣味より好きな仕事に携わりスリリングな生活を毎日おくれるわけだ。でも、好きな仕事が、昔はあったが今はもう存在しない仕事もある。昔カタカナ語の仕事が巷にあふれかえっていたが今はもうないのがおおいのだ。今後、無くなる仕事がもっと増えると言われる。小学校の時の夢というくだらないことをやめ現実を見るかもしれない。例えば予備校人気講師で全国に映像で流れて、誰からもどこからも認められ書く参考書増刷の嵐とはいかない。浪人生が今も医歯薬系以外いないのだから、もう仕事としてやっていかれないかもわからなくなってきているのが現状だ。サンタクロースがいるいないのレベルの話じゃないので早くから夢を閉ざすことはないというのは間違いで、現実を教えるようにしている。
今日は愛知高校の受験日です。ぜひ頑張って結果を出してください。
目標を持って頑張ることは、目標以外の可能性を失うことだという厳しい現実が待っている。
知識・経験を積めば積むほど私たちは、知識や経験があること以外には挑戦しづらくなる。
知識・経験のないことに挑戦するのは勇気のいることだし、世間モもそれを期待しないから。
それどころか、積み重ねて知識・経験が、知らず知らず境界線を生じさせてしまう。
境界線とはたぶん、【現在の不満な自分】と【将来の理想的な自分】との間のもの。あるいはその逆だろう。
今まで何千人という学生を見てきて、この境界線がない人が成功しているような気がする。
以前書かせていただいた、回転ずしという破天荒なアイデアは、元禄寿司の創業者がビール工場を見学した時、思いついたのだったと思う。
ベルトコンベアーで次々と運ばれるビールを見てね。
彼には知識・経験が作り出す境界線がなったんだと思われる。
目標を持たないで生きるとき、日々、知識や経験を捨ててゆくとき、私たちは。前後、左右、上下、四方八方、あらゆる方向に向かって可能性がひらかれているのだ。
凡夫は重ねた知識や経験に頼るから、判断をあやまったり、自分の可能性を狭めてしまうことにもなる。
よく成功体験の講演会を成功者に聞きに行く人がいるがあれは最も愚かな行為である。(同業者でリスペクトする人を作るのは愚行であるだけでなく危険である)
失敗者の話こそ危機に行くべきなのだる。
∴頭でっかちの東大から東大大学院博士課程単位満期取得退学の頭でっかちで性格の良い人は商売には向かない。
知っている人でも、こと商売に関しては必ず、金の亡者、拝金主義者、マモ二ストでないと成功していない。
ジャパネットたかたさんも大阪経済大を出ていた元社長は好感が持てててやり手であったが、後任の社長(高田氏の息子で東大法学部卒)の方はお父様を継いだわけだからその時点で、SUCCEEDではあるがお父様のサブでシード(進む)わけであるが、成功するかはわからないのである。
目標を願わず、積み重ねた知識・経験をすててゆくことだ。(井戸でも色んなものが積み重なると、捨ててあげないと、水にたどり着けなくなる。)
その時私たちはゼロになるんだ。
続きは以前のブログに書きましたゼロは何もないのではない。で始まる箇所です。
引き続き離脱せず、そこの部分もお読みください。
ラクに成功されると苦労している自分がばかみたいで<一体自分は何のために生きているのか>と、ますます不安になるからそう言うだけ。
■<優しくしなさい><感謝しなさい>というのも、優しくされたり感謝されないと、自分が生まれてきた価値がなくなってしまうようで、とってもとっても不安になるからだけ。
★時代の持つ価値観や常識はみんなのためにあるようで、実はみんなを利用するためのものかも。
■<個性を持て>もっともでも本当は【誰が見ても分かりやすい、型にはまった個性を持て】そのほうが安心
しかし本当の個性というのは、もはや個性とは言えないものだよ。境界線のない自分は、個性という型にはまるほど小さくはないからね。
▲ただそれでは相手を予測できなくて不安だから、社会はもっともなことを言って、個人を型にはめようとする。型にはまったロボットなら、行動も予測できるしコントロールもしやすい。時代の持つ価値観や常識が、いかにウソをつき、本音を隠すものなのか、すべてが偽りとは言わないが、よくよく考えてみる必要がある。金八先生も【人のためと書いて偽りと読む】とドラマの中で言っていたことを思い出しました【記憶が間違っていたらごめんなさい】
◆結論1、何事も頭から当然と思わないこと。
2、人生には、じつは確かなことなど何もないこと
上記1-2をわかっておくことがとても大切。
愛工大名電高校の入試をお受けになられた皆様、ご苦労様でした。結果はいかがでしたか?単願でない方は、結果を気にせず明日の愛知高校で頑張ってください。英語は長文を3題出してきますので時間配分に気を付けてください。
愛工大名電高校入試の英語はかなり易しかったと皆さま異口同音におっしゃられていました。
国語ができなった人が多かったです。
普段から申し上げている国語は同じ問題が出ることは、ほとんど漢字・文法以外ないから、当日、失敗してしまう子もいますと。話は大学入試に変わりますが西区の浅間町近くのマンションに住んでいたころ、センターマーク模試で 国語の偏差値が68-70、過去問解いて漢文まで含め9割を下回ったことがない医学部狙いのM君(開業医のお子様)という方がいらっしゃいましたが、当日だけ100点も取れなかった。つまり5割以下だった子がいます。私はそれゆえどんな有名講師の客観的かつ論理的な解法を聞いても当日、雑念が入ったらおしまいだよと申し上げているわけです。
まあ英語の長文も同じことが言えますが、南山大のように内容一致問題をひたすら出してくる高校はないですから何とかなります。 以上です
今日は愛工大名電高校の入試日です
入試の出来はいかがだったでしょうか?
中には明日、愛知高校の入試を受験される方もお見えになると思います。
雪にも負けずというよりか、雪にお気をつけなさって本番に普段以上の力が出せるように頑張ってください。
伊藤琢哉
世の中には、不満な現実を先祖の過ちのせいにしたり、前世の過ちのせいにまでしている人がい。
しかし、先祖の過ちのせいにできない。
例えば伊藤には父と母の2人がいる。
その父と母にも2人ずついる。その祖父と祖母にも、それぞれ父と母が2人ずついる。つまり一代さかのぼるごとに先祖の数は倍ずつ増えていく。
そんな調子で30代前迄さかのぼっつてみれば、先祖の数は現在の日本の人口と同じ数になってしまう。
それでは伊藤琢哉と読者の方々の先祖の数は日本の人口の数と同じ数となってしまう。
結局、十人十色の不幸の原因を先祖の過ちのせいにするわけにもいかない。前世の過ちのせいにするわけにもいかなくなる。一番最初の前世は、いったい何のせいにすればいいのか?
つまり、先祖の過ちのせい、前世の過ちのせいというのも幻想なんだ。
そんなものなんて存在しない。
自分の欠点もそう。自分の欠点のせいにしたときに、あたかも欠点が存在するかのように見えるだけで、本当はそんな物なんてない。
自分が勝手に作り出しているだけ。
皆様こんにちは。お元気ですか。伊藤琢哉です。
論語にこうあったような気がします。【調べていないので。間違っていたらごめんなさい】
【君子は、その位に素して行い、その他を願わず】とあったと思う。
君子(観音様のような知恵や働きを備えた人)は、イマ、ココに全力投球して、その他の事は願わないということ。
例えば、またわかりやすいので、秀吉の例を出すけど、最初、彼は、信長の馬番だった。その時、彼は自分の給料を割いてまで、馬にニンジンを買い与えていた。
その秀吉が草履取りになった話はどなたも、知っていると思うので割愛させていただく。
ここで重要なのは、もし秀吉が天下統一の目標を持っていたら、どうしただろう?
馬番や草履取りなんて馬鹿らしくてやっていられなかったかもしれないね。
あるいは、天下統一ののプラン作りに忙しくて、そんなことに全力投球どころではなかったかもしれない。
ところが、秀吉には、天下統一なんて目標はなかった。
天下統一が目前に差し迫ってそのような考えも浮かんだと思うが、信長が死ぬまでは夢にも思わなかったことだろう。
ただ、ただ、イマ、ココに全力投球してただけ。
その結果、知らず知らず、イマ、ココ、をやりくりする力も、最大限発揮することができた。
イマ、ココに全力投球する伊藤に、境界線は存在しない。その時、伊藤はゼロなんだ。
秀吉には地位も学歴もお金もなかった。本当に何から何までゼロだった。ゼロとはすごいパワーだ。
➡結論 結局、境界線がある限り、伊藤はイマ、ココ、に全力投球できない。【ああでもない。。。。。】【こうでもない。。。。。】と悩んだり、ありもしない未来や過去にココロを放って、全力投球どころか、全力分散させてしまう。
➡結論 秀吉の天下統一は、イマもてる限りの力で全力投球するうちに、結果として、そうなったというのが真実。