おとなもこどもも教育者だと思っています。
教育者というのは、教える度合いが強い人かもしれませんね。
せいじか、べんごし、がっこうのせんせい、びようしさん、よびこうのせんせい、じゅくのせんせい・・・・・
先生というのは先に生まれた人や、もとから、せんせいと、よばれているひとをさしています。
わたしたちは、こどもから、はっときづかされて、まなぶことが多いので、こどもがひんぱんに、せんせいになります。
商売をする方も、せいひんのことをよーく知っている人ですから、せいひんのことを、おしえてくれるのでせいひんのせんせいです。
でも教育者となると教育をしているひとでしょうばいをされているかたは、しょうばいにんと言います。
伊藤琢哉は学校の先生だけきょういくしゃ と若いころは言っていました。
最近は子供と多くふれあう時間がながいかた、そこで、そんけいされているかたのみ教育者といえるとおもっています。
また、えいきょうりょくを子供にはんぱなくあたえるかたは教育者とおもっています。
ココから大人用
教育者が犯罪を犯したとよくニュースになりますが、学校の先生は勉強以外も教えたりするので、例えば学校の先生が生徒に何かしたとなると、おかしいとなるわけです。【ディすってはいません】
ココで伊藤は個人個人どの組織にいようが、教育者である人はいるし、そうでない人はいると考えないとおかしいと思う、ということを補足説明させていただきたいと存じます。
反面教師もいいでしょうし、何も教師に対する理想像は人により違っていいと思うのです。
まだ書きたりませんがいずれ、機会をうかがって続きを書かせていただきたいと存じます。
お読みくださり有難うございました。
ITO ACADEMY 伊藤琢哉