看護系コースのみ8月にキャンペーンを行います。

■看護専門学校受験コース■

20代・30代のOLの方や、引きこもりの方で再度、小さいころからの夢であった看護師になる夢をかなえるお手伝いをさせてください。今後はこのコースに力を入れさせていただきます。もちろん現役の看護専門学校の方や看護大学の方もウェルカムです。料金相談はやめていましたがこのコースのみ、8月中に入塾された方には行いますので、なにとぞ相談くださいませ。

思想は不要

ITO ACADEMY がどんな塾かとよく聞かれる。

車で例えると少なくとも動く車を作っている塾だと答える。

どんなに立派な御託を並べて格好いい車を作っても動かなければ無意味であると思うから。

よくわからないと思う。

ズバリ言うと受かる・成績が上がる生徒を養成している。

そしてそこに思想は不要だ。

どんなに高邁な思想を掲げても結果が良くなければ無意味だから。

言葉を信用しないで生徒に集中しているからすばらしい予備校として機能しているんだ。

 

講師採用

ITO ACADEMYの講師は【痴話げんか】ができる人を採用している。

【本音で怒声で罵詈雑言をお互いにぶちまけれる人】を採用している。

表面的に良い関係だけの人や条件が整っているだけの人は採用しておりません。

 

妻との会話

妻が【のんある気分】というのを買ってきた。

これじゃーアルコール気分じゃないということは気分だけアルコールじゃないつまり本当はアルコールなのかと僕は言った。

だって【のん】という否定だもん。

ものすごーい

ものすごーいものは100パーセント虚構である。

 

高額な優良体験学習や高額な紙教材、高額な動画教材、無料体験、今だけ0円などは有名予備校のものでないと親御さんは目も向けません。

 

消費者は賢明ですから。

 

【ものすごーい】で売る売り方は期間限定であったりなんか特典が付きます。

特典なしでも胡散臭い。

 

典型的なスティグマの手法ですな。

やはりお金は嘘をつきませんよ。以上

良質で大量な読書量で人生は決まる

30年以上前から言っているが私は【学歴より学習歴だ】と思っている。

ピースの又吉氏、安藤忠雄氏・・・・皆そうである。

大切なのは学歴のロンダリングではなく短期間ベースでの【学習歴の更新】が大切だと思っている。

昔のブログのコピペ

昔のブログは少しかたかったかもしれませんね。

再度示します。

伊藤琢哉の偏見についての意見

さて重い話にお付き合いくだされば幸いに存じます。

偏見とは英語でprejudice

pre➡前もっての

judice➡=judgement;判断

判断のためには前提がなきゃーイケナイ

どこまで行っても前提の判断が必要

でも、流布されている言葉・前提的な判断の言葉

➡どれがまっとうな前提の判断かわからない

偏見はなくならないのでより強い偏見でぶち壊すしかない

(その先には暴力が待ち構えているかもしれない)

例えば

●昔の話

明治維新=テロ 西郷隆盛が徳川幕府のlawに逆らった

アメリカ;イギリスの植民地用のlaw があった

イギリスの植民地用のlaw 。。。。。=そもそもテロ

●ちょっと昔の話

テロ撲滅(ブッシュ)➡おっしゃる通り【日本列島一色】

テロの恐怖:lawを外れた力が恐怖をもたらす

◆小泉純一郎氏がアメリカの立場に立っている=撲滅される側の立場に立っていない

=撲滅される側からするとアメリカのほうがテロ

★コロナ問題については触れません。ノーコメント。

伊藤琢哉ここにあり

避我が国においてもグローバル化が言われて久しい。いうまでもなく、グローバル化とは、企業活動や市場などの主として経済活動を国際化、世界標準することであり、その中で英語は中心的な役割を果たす。
当予備校での講義は英語を中心として行う。講義は精読を通し、塾生の英語能力のbrush upを図り、速読即解法も伝授する。入試にとどまらず、実社会に出た時に十分活用できることを目的にする。
ただし、英語が必ずしも得意でない塾生も多数いることから、折に触れ、英文法の整理と復習を行い、基礎学力の習得と向上を目指す。以下に塾長の講義風景を載せる。旧名古屋予備校(現在のメディカルラボで英語人気NO1だった講師である)立教経営を優秀でもない成績で出る。アナウンサー試験はいつも最終試験で落とされる。フリーターをする度胸もないため、(現)東京海上日動火災に総合職正社員として働かせていただく。あまりにも仕事ができないこととやりたい職業があったため、損保は3年で退社。夢叶い今まで何とか予備校講師を続けている。以上

 

【ひなん】は10個あり避難と非難をかけている

何を持って決断するの?!

人間はいつでも決断をする。

どうして決断できるのだろうか。

考えてみようではないか。

まさかどっかから神様の声が聞こえてくるわけでもあるまい。

自分の情念が異様にほとばしってと決断したいうわけでもあるまい。

人生の分岐点に立たされた時に決断の連続を今までいやっちゅう程やってきたこと・・・

それ自体が習慣性と言ったらおかしいけれどある種の決断の知恵をつけて来てくれたのだから経験知が決断を容易にさせてくれていると思いたい。

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