セミナーとはシード、種という意味。
ドイツ語ではセミナーの語源はザーメン(オスの精液)。
例えばキリスト教の神学校でセミナリオ。その場で大切なものがあってキリストのために・・・
そこで1粒なりともとらえて枝葉が出て芽がなる。
こういうセミナーは少ない。
名古屋ではITO・ACACDEMYのみだった。
普通のセミナーはあっという間に枯れて蒸発してしまう。
20代・30代のOLの方や、引きこもりの方で再度、小さいころからの夢であった看護師になる夢をかなえるお手伝いをさせてください。今後はこのコースに力を入れさせていただきます。もちろん現役の看護専門学校の方や看護大学の方もウェルカムです。料金相談はやめていましたがこのコースのみ、8月中に入塾された方には行いますので、なにとぞ相談くださいませ。
セミナーとはシード、種という意味。
ドイツ語ではセミナーの語源はザーメン(オスの精液)。
例えばキリスト教の神学校でセミナリオ。その場で大切なものがあってキリストのために・・・
そこで1粒なりともとらえて枝葉が出て芽がなる。
こういうセミナーは少ない。
名古屋ではITO・ACACDEMYのみだった。
普通のセミナーはあっという間に枯れて蒸発してしまう。
大学生時代少々の間六法全書を開けれなかった。
理由は簡単。
この世の現体制をまだ全肯定していなかったから。
医科大学を目指す浪人生が某医科大の問題をもってきました。
用意していたADHDの問題を解説した後のことでした。
難問奇問らしく解けないらしいのです。
たとえば、quackeryの意味を知っていれば解ける問題がありました。
この単語は普通の単語帳に載っていないので、どうしたらよいかも、お教えしておきました。
意味は【インチキ療法】という意味です、
医科大によっては難しい問題や単語を出しますので、そのような際にどうしたらよいか、ブログをお読みの皆様も、ご関心がおありの方はITO・ACADEMYに聞きに来てください
https://youtu.be/U91u6ui9bvA
動画にお付き合いください。
ビリなBOYでもどべなBOYでもまともな大学に入学していますよ。
近所で夫婦喧嘩があり、
亭主が「女は産む機械だ、だまって寝転がっていれば、
俺が何とかしてあげる」って言ったら、
女房が「男は産ませる機械ね。でもあんたのは産ませ
る小道具。というより、腐りかけのししとうだよ。」
って言い返したら、
亭主が怒って女房に殴りかかった。
ところが女房は、たまたま料理中で、持っていたフライパンで
亭主を叩いたら、亭主が死んじゃった。これは女房の亭主への、
過剰防衛だが、過剰に怪我をさせて、死なせた部分は、
刑法36条2項但書で刑を減刑か、免除となっており、
この奥さんは刑務所に入らなくて済むか_______________________?
ただし亭主に掛けておいた保険はおりない
これって本当かウソか?
こういうこともやっています。
「お宅の娘は預かった。返してほしけりゃ金を出せ!!」
娘をお金と交換する……
これはつまり「監禁罪(換金罪)」にあたります。」
なぜ勉強したか。
誤解を招くかもしれないがはしょって言うと、
簡単に言うと理想と現実という・・・・
肝心かなめなことは現実を踏まえた理想。
理想に率いられる現実
という相互応答の中でいかにバランスをよくとるかと、
それは大変難しい仕事でした。
そのバランスを取ろうとすると
自分の出来の悪い私の頭なんかからたいした知恵も出て来ず
それ故、先人たちの知恵に学んで…まさに勉強しようと
1935年は、その二年前に隣国ドイツでヒトラーによるナチス政権が樹立し
ロシア(ソ連)ではスターリンによる独裁体制が強固な足場を作っている最中
という、近、現代史上まれに見る政情不安な時代であった。
(史実から学ぼう)
しかし偉人はこのような事態を単に政治的問題として取り扱わなかった。
(どういう立場をとったかを学ぶ)
彼は、このような事態はそれよりもはるかに広範囲に広まっている
現代人の精神的病弊の一つの表れに過ぎないと見たのである。
(ここに彼の千里眼があったといえる)
偉人は、現在よく「予言的」だと言われる。
彼が今から70年以上前に唱えた現代人の精神的病弊が、
我々の生きている現在この時点の現代人の精神状態
そのものだと思わざるを得ないからである。
偉人が鋭くえぐりだしているのは、
何もファシズムやコミュニズム、経済混乱や社会現象といった、
派手に目につく表面的な事象だけではない。
それらをも含めて、「現代」が抱える様々な問題を引き起こす精神の問題、
そしてその精神が生み出す文化の問題なのである。
現代人の精神そのものが病んでいるから現代の政治も経済も教育も広報も、
全てが病んだ様相を示しているのだ。
ではこういった精神的病弊を彼はどうやって克服しようとしているのか。
彼は二つの、現在人にとっては非常に困難に思われる解決の糸口を示している。
それが「献身」と「自制」である。(言いえて妙である)
偉人の要求する精神態度は非常にストイックである。
便利なものはあること自体が悪いのでは決してない。
ただ、それに呑み込まれるような生き方をするな、
いつでも「なくても生きられる」精神状態をしっかりと確保せよ、ということなのだ。
これこそが「自制」であり、これが出来るためには非常に高度な精神力と意志力を必要とする。
彼の言う「献身」とは「禁欲」(原文ではaskese(ascese))であり、これは「努力、鍛錬」(exercise)
をも意味する語である。
つまり彼の言う「献身」と「自制」とは、表裏一体の精神なのである。
しかし偉人は言う、「私はオプティミストだ」と。
彼の言う「オプティミスト」とは、一般に言われているような底の浅い意味でのそれではない。
「改善への道がほとんどどこにあるかも見えない中で、それでも希望をあきらめない人を私はオプティミストと呼ぶのである」
普通の人ならペシミストと呼んだことであろう。
多義語をやりましょう。
難しいから楽しいということがわかりますよ、
塾をウイルスのため閉めて【閉校して】いましたが10月から開校します。
こんな単語に【あんな意外な意味が】と閉口することでしょう。
知的好奇心びんびん物語が始まりますよ。
おもろー単語やりたい奴この指とまれ。